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平均年収1,000万円以上!NOT A HOTEL創業者が明かす、報酬と福利厚生への考え方

  • NOT A HOTEL株式会社
  • 代表取締役
  • 濵渦 伸次

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平均年収1,000万円以上!NOT A HOTEL創業者が明かす、報酬と福利厚生への考え方

「SO(ストックオプション)を設計するにあたって、トレンドに流されてはいけないと思っているんです」。そう話すのは、NOT A HOTELの創業者である濱渦伸次さんです。

NOT A HOTELでは、全社員を対象にしたSOの付与はもちろんのこと、平均給与額が平均1,000万円以上と、スタートアップのなかでも非常に高い水準の報酬が設計されています。その根底には濱渦さんの「給与とSOのバランスがとれていないと上場後の事業成長が見込めない」という考えがありました。今回は、その真意を伺います。

濵渦 伸次(はまうず・しんじ)NOT A HOTEL 代表取締役

2007年に株式会社アラタナを創業。2015年には、M&Aにより株式会社ZOZOグループ入りを果たし、その後はZOZOテクノロジーズ取締役を兼任。2020年4月に同社・役職を退任し、同月1日にNOT A HOTEL株式会社を設立する。

宮田 昇始(みやた・しょうじ)Nstock 代表取締役CEO 

2013年に株式会社KUFU(現SmartHR)を創業。2015年に人事労務クラウド「SmartHR」を公開。2021年にはシリーズDラウンドで海外投資家などから156億円を調達、ユニコーン企業の仲間入りを果たした。2022年1月にSmartHRの代表取締役CEOを退任、以降は取締役ファウンダーとして新規事業を担当する。2022年1月にNstock株式会社(SmartHR 100%子会社)を設立。株式報酬のポテンシャルを引き出すメディア「Stock Journal」を運営している。

「"ニッチ"が好き」起業家デビューの地にあえて宮崎県を選んだ理由

宮田 昇始(以下、宮田):濱渦さんのことはアラタナ時代から存じていました。まずは、アラタナを創業したきっかけを改めて伺いたいです。

濵渦 伸次(以下、濱渦):アラタナを創業したのは2007年5月、僕が23歳のときでした。その少し前に、新卒でリコーに入社していました。GR DIGITALというカメラが大好きだったので、その仕事をしたいと思っていたんです。しかし、配属先はコピー機を取り扱う部署でした。希望とは違ったので気持ちがすっかり落胆してしまい、次の日に辞表を出しました。その翌日がボーナス支給日だったので「これをもらってしまったら辞められないぞ」と、急いで出したことを覚えています。

宮田:配属翌日に辞表はすごいスピードですね(笑)

濱渦:退職後は僕の地元である宮崎に戻り、アパレルショップで働き始めました。カメラの次にアパレルが好きだったので、それを仕事にしようと思ったのです。ところが当時、地方の商店街はどんどん廃れていってしまっており、僕が働いていたアパレルショップもその波に飲み込まれようとしていました。そんなときに、アパレルショップの店長から「ECをやればなんとかなるかもしれない、だから作ってよ」と無茶振りされて(笑)。いろいろと調べながらECを作ってみた結果、とても好評で、「ワゴン(アパレルショップの名前)の濱渦がECを作れるらしい!」と噂が広がり、商店街にある他のお店からも依頼されるようになっていきました。そして、依頼数が増えたタイミングで「これで独立しよう」と考え、ECに特化したテックベンチャーとして創業したのがアラタナだったのです。

ありがたいことに、アラタナ創業後もさまざまなECを作らせてもらいました。そこから紆余曲折あり、2014年に前澤さん(株式会社ZOZO創業者の前澤友作さん)と出会ったのですが、ZOZOの物流システムを見せてもらう機会があったんですね。その時に「すごすぎて、これには勝てないな・・・」と良い意味で衝撃を受けて。それをきっかけに、2015年5月にZOZOへグループ入りをしました。その後、5年間ほどはZOZOの子会社社長を務めていましたね。

宮田:アラタナもNOT A HOTELも、濱渦さんの地元である宮崎からスタートしていますが、東京などの都心を選ばなかったのは、地元を盛り上げたいといった気持ちがあったからでしょうか?

濱渦:実は、地元に貢献したいというよりは、ビジネスとしてのメリットがあるというのが主な理由です。

2007年ごろは「ネットで洋服が売れるわけがない」などと言われている時代だったのですが、僕はそもそも、そういったニッチな領域で挑戦することが好きだったんですよね。アラタナを宮崎で創業したのも同じ理由です。当時は東京を中心にIT企業が採用力を競い合っていたので「地方のほうが優位ではないか」という思惑があったからでした。実際に採用はうまくいきましたし、それがビジネスに直結しました。

もちろん、宮崎が好きですし盛り上げたい気持ちもあります。でも、そのためにはビジネスとしてちゃんと売上を出すことが大前提で、しっかりと儲けて、生まれ育った地元に恩返ししたいなと思っていましたね。

融資を断られ続けるなか“半ばやけくそ”で生まれたNOT A HOTEL

宮田:2020年4月にはZOZOの子会社社長を退任し、同月にNOT A HOTELを創業されていますよね。再び起業したいという気持ちはずっと持っておられたのでしょうか?

濱渦:いえ!それどころか、前澤さんやZOZOが大好きだったので、辞めるつもりもありませんでした(笑)。

ZOZOを離れるきっかけになったのは、前澤さんです。ZOZO代表を退任した後も新しい事業に挑んだり、「宇宙へ行く」と宣言したり。その姿に感銘を受けて「僕もチャレンジしなければ」と考えを改めました。ロックアップ(需給関係を安定させることを目的に、株式発行者や株主などの間で一定期間に渡り、株式などの新規発行や売買を制限する制度)も既に解けていたので、退任して新しいチャレンジをすることにしたのです。

宮田:NOT A HOTELのビジネスモデルもそのときから練っていたものだったのですか?

濱渦:まったく練っていませんでした。やりたいこともあまりなくて。でも唯一、興味があったのが「ホテル」だったんです。夢のひとつでした。

「一部屋300平米のホテルをやろう」と決めて、早速銀行に融資を受けにいきました。国内でもあまり前例のない非日常的なホテルにすること。それならば、僕の趣味でもある家具や旅行で培ったこだわりも存分に活かせます。ホテルの名称も「THE HOTEL」にして、それを宮崎で開業しようと考えていました。「thehotel.jp」というドメインも取得したくらいです。

宮田:めちゃくちゃ良いドメインですね!

濱渦:ちなみに、thehotel.jpのドメインはまだ持っているので「いつか使ってやるぞ」という気持ちは持ち続けています(笑)。

宮田:NOT A HOTELがつくる「THE HOTEL」すごそうです(笑)。ところで、どういった経緯で今の名称に変更されたのですか?

濱渦:実は、THE HOTELのコンセプトでは、宮崎の銀行から融資を受けることが難しかったんです。前例のない非日常なホテルでは、どこも首を縦に振ってくれませんでした。

「一部屋を30平米に10分割するものであれば融資できる」と言われたのですが、そうなるとほかのホテルと何も変わらなくなってしまう。「こんなホテルは宮崎で前例がないじゃないですか」と言う銀行に対して「いやだからチャンスなんじゃないですか!」と押し問答をしたりして(笑)。

そんな経緯から「銀行の融資が難しいのであれば、お客さまへ先に販売し、その資金でホテルを建てよう」と思いつき、半ばやけくそで誕生したのが「NOT A HOTEL」でした。

宮田:そんな経緯があったんですね(笑)反骨精神があふれるエピソードにとても共感します。

濱渦さんの、2回目の起業のはじめ方

宮田:シリアルアントレプレナー(連続起業家)のなかには、2回目の起業アイデアに悩んでしまい、なかなか踏み出せない人も少なくないと感じています。濱渦さんの場合は、2回目の起業を前に悩んだりはされませんでしたか?

濱渦:実は、退任後は一時的にやる気を失ったんですよね(笑)ZOZO退職後のロックアップの条件に「退任後、3年間はECやファッション関連事業への従事を避けること」というものがありました。つまり、これまで培ってきた経験を活かせないため、ほぼすべてが白紙状態での再スタートとなったわけです。厳しい条件のようにも思えましたが、そのおかげで原点に立ち戻れましたし、「自分がやりたいことを思いっきりやろう」と振り切ることができました。

退任するまでの間は引き継ぎ業務が発生するので、次のチャレンジについてしっかり考える時間もありませんでしたが、せっかくチャレンジするなら、ずっと憧れだったホテル事業で、まだ世の中に無いものを作ろう!と、少しずつ挑戦心が湧いてきましたね。

宮田:NOT A HOTELはエクイティ調達(事業のために新株を発行して資金を調達すること)をされていますが、どうして自己資金でやろうと思わなかったんですか?

濱渦:あ、貯金は全部使っちゃったんですよね(笑)、ZOZOからもらっていた報酬のほとんどを大好きな家具や旅行に費やしていたので、あまり残っていませんでした。なので、資金調達は必須でした。

アラタナ時代は十数億円ほどエクイティ調達していた経緯もあり、NOT A HOTELにも、アラタナ時代に出資してくれた方々が「無条件で出資するよ」と言ってくださっていたりもしました。とても有り難かったですね。ただ、アラタナ時代にメインで出資してくれていたジャフコさんからは「業界が違いすぎるので、ジャフコとしての経験を活かせない」と断られましたが(笑)。

また、「NOT A HOTELの資金調達では今までお会いしたことがない投資家にもアタックしてみよう」と思っていました。そこでご連絡したのが、ANRIの佐俣アンリさんだったのです。

宮田:SNSでのやり取りを見ていると、お2人とも長いお付き合いなのかと思っていました。

濱渦:いえ、全然つながりはありませんでしたね。ちょうど銀行から融資を断られていたころに佐俣さんの著書『君の熱に投資しよう』を読み、非常に感動して、すぐにツイッター(現X)でDMしました。すぐにお会いできることになってNOT A HOTELのことを話すと「面白そうですね」と6億円の出資を申し出てくれました。

しかし、ちょうど新型コロナウイルスが発生して東京でロックダウンが始まり、ホテルや旅行事業にとって絶望的な状況下で……。さすがにそんな金額は申しわけないなという気持ちになって、佐俣さんには「リセットして事業内容を練り直そうと思っている」と伝えたこともありました。そうすると「そんなことでいいんですか?やりましょうよ」と、そのまま出してくれたのです。僕の覚悟は、その言葉で決まりました。

「先行販売で得たお金で建てよう」に潜んでいた落とし穴

宮田:仰っておられたとおり、NOT A HOTELが誕生した2020年は新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、旅行事業やホテル事業などにも大きく影響していました。NOT A HOTEL事業への影響も大きそうに感じますが、当時はどのように考えられていたのでしょうか?

濱渦:新型コロナウイルスの影響によって、大打撃を受けたホテルは少なくありません。しかし一方で、「別荘」のニーズは高まっていました。NOT A HOTELは通常であれば数億円する物件を最大12口(年間30日分)でシェア購入できる別荘向け住宅、というビジネスモデルを採用してこともあり「今はピンチではない、チャンスだ」と捉えていました。

当時、そんな想いもあり試しに一投目の完成イメージ図をCG化して公開したんです。そうすると、24時間で15億円ほどの売上になりました。ZOZOやアラタナが登場したころに「ネットで服が売れるはずがない」と言われていたように、NOT A HOTELも「ネットで不動産が売れるわけがない」と言われていたのですが、それを覆し「ほら見ろ!」となった瞬間でしたね(笑)。

「もしも売れなかったら、出資してくれた方々に土下座しなければ」と思っていたので、本当に嬉しかったです。しかし実は、お客さまに先行で販売して得たお金をすぐに使えるわけではないと判明しまして……。

宮田:え、そうなんですか?先行販売がものすごく順調なので、もうエクイティでの資金調達が必要ないくらい資金が潤沢なのかと思っていました。

濱渦:そうなんです。当初は、NOT A HOTELの購入権利をお客さまへ先に販売し、そのお金で建てていく流れになるので費用面で大きな問題は起こらないだろうと考えていました。ところが、先に販売して得たお金は、宅建協会へ供託しなければならないことが判明しました。販売したお金は手元に残らず、建築が進むまではよそへ預けなければならなかったわけです。

そのため、しばらくの間は資金繰りが非常に大変でした。まだ何もない状態では、NOT A HOTELを信じて出資してくれた人たちも不安に思うところが多いです。無事に一棟目が完成してからは、二棟目、三棟目と建築が進むと資金繰りもスムーズになり、必要なお金をしっかり集められるようになりました。

宮田:一棟目が完成したあとの変化は大きかったんですね。

濱渦:そのとおりです。一棟目が完成すると「おっ!」と思ってもらうことができ、購入してくださったお客さまのうち3割の方が買い増ししていました。これは、大きな金額を扱う不動産事業ではめずらしい現象でもありました。

「強い組織を作るためにも、高い年収にしなければならない」

宮田:現在、NOT A HOTELの社員数はどれくらいですか?

濱渦:2024年1月時点で、社員は124名、アルバイトを合わせると約160名ほどになります。いくつか具体的な職種別の人数を挙げると、エンジニアが約30名、建築家が約20名、セールスが約15名、マーケティングが6名と構成されていますね。

宮田:以前NOT A HOTELの資料を見て、社員の年収が1,000万円ほどの給与を出されていることに驚きました。スタートアップだけでなく、ホテル業界から見ても高い水準だと思ったのですが、なぜこの金額設定になったのでしょうか?

濱渦:強い組織を作るためにも、年収は高くなければいけないと思ったからです。Netflixの組織体制が書かれた書籍『NETFLIX NO RULES』には「業界最高峰の給与を支払っている」と書かれているのですが、これすごく良いなと思ったんです。自分たちも業界最高峰の給料にするぞって。スタートアップにはSOのような株式報酬がありますけれど、IPOするまでの間にその利益は形にならないじゃないですか。そこで、NOT A HOTELでは給与額を全体的に高めにし、さらにSOによる株式報酬がある状態にしました。

また、NOT A HOTELでは個人評価は行わず、昇給に関しては会社の業績評価によって一律で決められるようにしています。そのため、定期的な個人面談もしていません。以前の会社では、3ヶ月ごとに個人面談をして評価をして・・・というフローを採用していたのですが、定期的に評価面談を行うのはなかなか大変なんですよね。社員はそうせずとも、会社の業績を上げるために頑張ってくれている。「だったら、業績だけで評価すればいいのではないか」と考え、年次ごとに業績やOKRの達成度を見て、3% or 5%の間で一律で昇給するようにしたのです。なかには飛び級をする人もいますが、基本的にはみんな一緒に昇給するようになっています。

宮田:とても共感します。特に「高い給与水準」のところは強い組織をつくる上で非常に大切だと思いました。スタートアップでは前職より給与を下げて入社する人も少なくないですが、NOT A HOTELのような考え方をもつ企業だと安心して転職できそうです。

濱渦:宮田さんの言うとおり、スタートアップに前職から給与を大幅に下げて入社する人はまだまだ多いです。その差分としてSOを付与する手段もありますが、そのやり方はちょっと違うんじゃないかと思っているんです。僕としては、リスクを覚悟して入社を決めてくれた社員に対して「心理的安全性を確保する」という意味でも、ちゃんと給与を支払いたい。そのうえでSOという報酬を加えるのがいいのではないかと考えています。なぜなら、SOはあくまでも将来にかたちになるかもしれない報酬だから。

宮田:SOを「給与が低い分の補填」として活用するのではなく、ベースとして給与を十分もらっている上でのアップサイドとして活用されているんですね。

濱渦:そうです。僕の経験上、給与とSOのバランスがとれていないと、上場後に社員のモチベーションが維持されず、事業成長が見込めません。何より、スタートアップはタフな仕事も多く、ときには家族を巻き込むこともあります。そんな環境下で「給与を低くするから成長できる」といった、スタートアップにありがちな悪い考えは取り入れたくないですね。

NOT A HOTELらしさが最も出ている福利厚生の中身

宮田:そう言えば、NOT A HOTELの福利厚生もユニークな内容になっていると聞いています。くわしく内容を伺いたいです。

濱渦:福利厚生をかんがえるとき、たとえばメルカリのような会社の福利厚生を真似しようと思っても、スタートアップだと難しいですよね。また、せっかく作るならNOT A HOTELらしさを感じられるものにしたい。そう考えた結果、「社員本人とその家族に年間最大100万円の旅費を支給する」という、たった1つの福利厚生を取り入れることにしました。誰にでも刺さる内容ではないかもしれませんが、きっと「旅好きな人」には刺さるだろう、と。

濱渦:あえて極端な福利厚生にした理由は、特徴を持たないスタートアップは採用においても不利になってしまうからです。福利厚生に関しては、組織の成長とともに必要な制度を加えていくスタイルが一般的ですが、僕としては制度を作るたびに予算を分散させるような気がしていてあまり良くないと感じていました。社員の要望するものをすべて福利厚生に落とし込むには限界がありますしね。

宮田:めちゃくちゃ良いですね!!

福利厚生って、会社として色々考えて用意するのですが、会社が大きくなるとたくさん制度がありすぎて、社員も何を提供されているのかわからないし、会社も何を提供しているのかわからなくなってしまいますよね。検討にも、多くの労力がかかります。

対して、「最大100万円の旅費」ってものすごくシンプルでわかりやすく、刺さる人には本当に刺さりそうですね。福利厚生も「これだけ!」とすることで、検討の労力も大幅に削減できそうです。

しかも、高額の旅費が出るという福利厚生があることで、普段よりいいところに泊まるインセンティブにもなる。これはNOT A HOTELの事業にも、間違いなくプラスの効果として返って来そうですね。

濱渦:まさにそれが狙いです!「せっかく旅をするならケチらないでほしい」「一泊でドカンとお金を使ってほしいし、なんならロマネ・コンティとか飲んでほしい」と伝えていますね(笑)。僕がいいと思ったホテルも紹介しています。NOT A HOTELのお客さまは、今まで経験したことがないことを楽しむためにいらっしゃいます。僕らが「経験したことがないこと」を楽しんでいなければ、いい提案はできません。そういった経験ができるように、会社としても後押ししています。そして、この福利厚生によって実際に“旅好き”な方々に選ばれるスタートアップになっているという自負もありますね。

宮田:この考え方が良すぎて、完全にNstockでもマネしようと思っています(笑)

SOによる株式報酬は、経営者がポリシーを持って設計すべき

宮田:最後に、先に少しお話が出ていたNOT A HOTELのSOについて、こだわっているところを聞かせてください。

濱渦:「トレンドに流されないこと」ですね。Nstockさんは、たとえば「SOプールが20%」というトレンドを作ろうとしているじゃないですか。これ自体は良いのですが、何も考えずにそれに流されるのは良くない。経営者が意思をもって決めることが重要だと思いますね。Nstockさんを否定しているわけじゃないですよ、うちはサービスも導入させてもらっていますし(笑)。

宮田:ありがとうございます(笑)。

濱渦:NOT A HOTELの場合、SOプールの割合は10%に定めています。僕たちは、新型コロナウイルスの感染拡大中にも関わらずリスクを負って投資してくれた方々がいたから創業できたので、そういった背景もあって検討した結果、10%に決めました。今、ちょうどSOを設計しなおしているところなので、今後も「自分たちらしい株式報酬制度」を導入していきたいと思っています。

また、少し話は変わりますが、僕は社員にも、創業者にもセカンダリー取引の機会があることに大賛成なんです。

宮田:おお、その理由も教えていただけますか?

濱渦:日本でもセカンダリーマーケット等が整備され、社員にもSOをセカンダリーで売却する機会があれば、社員はIPOするまで無理して在籍する必要がなくなりますし、スタートアップのスモールIPOも減ると思っています。

また、スタートアップにおいて、一番リスクをとっているのは創業者です。IPOまでの道のりは平坦ではないので、経済的な理由などから企業規模が大きくないタイミングでIPOに踏み切るスタートアップは少なくありません。

創業者にもセカンダリーで売却の機会があれば、精神的なストレスが大幅に減り、じっくりと事業成長を考えることができるんじゃないと思っています。

NOT A HOTELもIPOを視野に入れていますが、利益が100億超える見立てがないと踏み切ってはいけないと考えています。そういった想いから、今後セカンダリーに挑戦されるNstockさんのことはとても応援しています。

宮田:今日は濱渦さんからたくさん学べましたし、Nstockとしてもいい宿題をもらえた気がします。ありがとうございました!

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