これからの日本経済を見据えて、政府もスタートアップ企業10万社、ユニコーン企業100社の創出に力を入れると宣言しています。なかでも、注目を浴びているのは2023年(令和5年度)税制改正大綱に盛り込まれた「エンジェル税制拡充」。従来の課税繰延ではなく、「株式売却益の創業スタートアップへの再投資が20億円まで非課税」となる見込みで、大きく話題になっています。
しかし、エンジェル税制がより活用されるにはまだまだハードルに感じられる側面も多いようです。今回は、エンジェル投資家としてこれまで130社以上に投資を行う有安伸宏さんに、エンジェル投資を行う背景や、エンジェル税制について感じていることについて、Nstockの宮田昇始がお話を伺います。
はじめてのエンジェル投資先は、マネーフォワード
宮田:有安さんが、エンジェル投資をはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
有安:友人が起業するというので、出資をしたのが最初です。僕がすごく優秀だと思っている人だったので、即決でした。投資契約書も見ない、「プレバリュー」や「ポストバリュー」という言葉すら知らなかったくらい(笑)。自分が経営していた会社を売却してキャピタルゲインを得る前の段階だったので、なけなしの貯金の中から出資させてもらいました。
僕自身は2007年に起業しましたが、当時はベンチャーキャピタルといってもジャフコさんとあと数社くらいで、投資家も起業家も数が少なかったので、ベンチャー投資に関する情報も少なかった。でも、実際に出資をさせてもらってみて、人様の会社の経営を内側から見せてもらい、「これは、経営者としてとても勉強になるな」と感じたのを覚えています。
宮田:ちなみに、最初に投資されたご友人の会社はどちらですか?
有安:マネーフォワードです。創業者の一人である瀧 俊雄さんは同じ大学出身の同期で、めちゃくちゃ優秀なのはもともと知っていました。後に、社長の辻さんを紹介してもらい仲良くなりました。当時は、高田馬場のぎゅうぎゅうの狭いオフィスで、自分と同じ年齢・職業のほかのユーザーの資産を匿名で参考に見ることができるSNSのようなサービスを作っていました。家計簿などのプロダクト群へピボットする前の話です。
起業家をリスペクトし、「めんどくさい投資家」にならない
有安:そこから10社目くらいまで、主に友達の紹介で出資を行ってきましたが、そのなかで「エンジェル投資は自分に向いているかもしれない」と思ったんです。自分の起業、経営で、多くの遠回り、失敗を経験してきたわけですが、創業間もないスタートアップが悩むポイントの9割以上は、みんな似通っているということに気づきました。「起業経験、会社売却経験がある自分だからこそ貢献できることがあるのではないか」と、2016年ころから本格的に取り組み始めました。
そこから、毎年12社前後にコンスタントに出資を続けてきました。出資以外の付加価値向上のために、エンジェル投資家としてはじめてAWSとの提携し、出資先のスタートアップは年間1,100万円までAWSのサーバーコストが実質的に0円になるプログラムを用意したりもしました。
宮田:その後、AWS以外にもさまざまなベンダーとも提携されていましたね。エンジェル投資家としていろいろとサポートされている印象がありますが、気をつけられていることはありますか?
有安:起業家をリスペクトすること。めんどくさい投資家にならないこと。自分の起業を振り返ると、ちっともうまくいかなかった時期もあり、いかに創業間もないスタートアップが大変か、創業者が孤独かを身を持って経験しているので、自然とそうなっているのだと思います。「めんどくさい投資家」というのは、起業家からみてコミュニケーションコストが高い状態の株主を指しています。細やかな根回しが必要な対象の一人にならないように、起業家との関係性をフランクなものに維持するように努めてます。
有安:出資者は経営現場の一次情報を持っていませんから、基本的なスタンスとして余計な口を出さない方がいいと思っています。逆に、何か経営上の問題が発生したり、客観的な第三者の意見が欲しいときにはパッと連絡をもらって、フランクに客観的な視点をインプットする。
また、経営のペースメイクという意味では、立ち上げたばかりの会社については、週一や月一で「何がうまくいったか、何がだめだったか」を一緒に振り返る定期ミーティングも価値があると感じます。上司ではなく、メンターであり、応援団長。エンジェル投資家は、そんな関わり方が一番良いと思っています。
僕にとってエンジェル投資は、仕事というよりも生活の一部、ライフワークになっています。起業家が好きですし、彼らと話していると元気になるし、こちらの目線も上がります。
エンジェル税制普及のカギは、スタートアップ側の負担減
宮田:有安さんは、これまでにエンジェル税制を活用したことはありますか?
有安:130社ほど投資をしてきましたが、実際にエンジェル税制を使ったのは10社以下です。エンジェル税制は、まず設立からの年数や従業員規模など制限があります。また、投資をする側に税制のメリットがあるのですが、スタートアップ側の準備が非常に大変なんですよね。
利用前は「税理士さんにまとめてお願いできるのでは」と思っていたのですが、従業員を雇用していることを証明する書類(社会保険の支払い書など)だったり、事業従事者の略歴や担当業務内容の説明だったり、準備しないといけない書類が10種類以上あります。全部、税理士さんなどの外部リソースに頼れれば問題ないのですが、どうしても創業者自身でないと作成しづらい書類もいくつかあります。
宮田:僕もSmartHR社で株主からの依頼があり、エンジェル税制の対応したことがあるのですが、数年経っても「あれ、大変だったなぁ……」と思い出します(笑)。
有安:初期のスタートアップは、タスクが山積みです。開発やプロダクト開発を除く、ほとんどの非定形の雑務は、創業者がやることになります。そこに、ちょっとカロリーが高いタスクを入れることへの罪悪感がすごくあります。また、基本的には投資家のための優遇措置なので、スタートアップ側にメリットがない、という非対称性も気になります。
宮田:今回の改正案で、手続き簡素化も議論されているそうですが、たとえばどれぐらい簡略化されスタートアップ側の負担が減ったら、有安さんがエンジェル税制を使ってもいいと思えそうですか?
有安:難しいですね。今よりも4~5割出さなきゃいけない書類が減って、なおかつ、スタートアップ経営者側にエンジェル税制を使いたいと思えるインセンティブがないと、僕からは切り出しにくいと思います。
今回、このインタビューのお話をいただいたので、数年前に投資したスタートアップ創業者とのやり取りのチャットの記録を見てみたんです。私が「(今回の調達ラウンドで)個人投資家が何人かいるけど、エンジェル税制の申請をやる予定ある?」と聞いてみたところ「できれば、避けたいです(笑)」と返信がありました。この「(笑)」のなかに、いろいろと含みがありますよね。僕はこの返信を一言をもらっただけで、もう提案するのは諦めました。それだけ、創業間もないスタートアップに負担を強いることは、罪なことだと考えていたのです。
(編集注:2023年度(令和5年度)から、確定申告書、法人事業概要説明書、株式の発行を決議した書面、個人が取得した株式についての株式申込書などは不要になる、という報道も出ています(2023年1月時点))
(出典:「令和5年度(2023年度)経済産業関係 税制改正について」)
(有安さんコメント:インタビュー実施の後日、まさにスタートアップ側の負荷を減らす方向で、上記の表のようなに手続きが簡素化される方向で改正案が発表されました。素晴らしいと思います。関係者の皆さま、お疲れさまでした!)
有安:あと、意外と誤解されているのは「税金を払うくらいなら、エンジェル税制使って投資した方がいい」という話です。エンジェル税制で受けられるのは「控除」、つまり「対象企業への投資額全額をその年の株式譲渡益から控除できる」という仕組みなので、雑な言い方をすれば、「バリュエーション2割引で出資ができますよ」というだけなのです(編集注:これは優遇措置Bを選択したケースです)。
宮田:え、なんかそれ誤解していました。エンジェル投資した金額の大部分が返ってくるイメージでした。
有安:ここを間違えて理解している人、けっこう多いんですよね。納める税金をそのままエンジェル投資にまわせるよ、ということではなく、税金計算の対象とする当該利益を小さくカウントする(=控除する)ということなので、誤解にもとづいて過大評価するのは事実と違うと思います。
とはいえ、エンジェル税制の仕組み自体は素晴らしいと思っています。国家全体を見渡せば、日本は新産業を作り出せなければこのまま沈みゆく運命にある、といえるでしょう。政府が近年稀に見る規模感でスタートアップを盛り上げようとしているのにも期待しています。スタートアップへの再投資が20億円まで非課税になる改正案も、素晴らしいですよね。
税制優遇よりも、本丸は「規制緩和」
有安:エンジェル税制のような税制優遇ももちろん必要だとは思いますが、スタートアップを盛り上げるための本丸は「規制緩和」だと常々思っています。
スタートアップ業界がサイズアップするためには、教育、医療、タクシーなどスタートアップが参入しづらい業界の規制緩和を行っていくことのほうが、政策としてインパクトが大きい。たとえば、アメリカでは各領域でCtoCのスタートアップが大きく成長していますが、日本はメルカリなどの例はあるものの、バーチカルのCtoCプレイヤーでジャイアントは現れてません。
この差分の9割以上は、規制の厳しさ、既得権益を握る伝統的企業の強さ、で説明がつくでしょう。生産性が低い産業や国際競争力が劣っている産業で、健全な市場競争を促し、新陳代謝を起こすことが必要だと考えています。
ちなみに、宮田さんはエンジェル税制の改正案についてどう思ってますか?
宮田:僕自身は今回の改正について、めちゃくちゃポジティブに捉えています。アメリカはエンジェル投資がスタートアップ投資全体の25%を占めているのに対し、日本はまた1%ぐらい。2018年時点のデータですが、アメリカはエンジェル投資2.5兆円に対して日本は50億円と500倍の差がついています。今回の改正でどこまでインパクトがあるかはわかりませんが、かなり好影響なのではと思っています。
起業家以上に、投資家も成長しなくてはならない
宮田:有安さんにとって、思い出深いエンジェル投資のエピソードを教えてください。
有安:いくつかあります。最近だと、コロナ禍の真っただ中に出資先スタートアップの資金調達をサポートしたのが、想定以上に大変でした。マクロ環境の悪化を自分ごととしてダイレクトに体感した、 という意味で印象的でした。
Tebikiという、デスクレスワーカーの現場教育をスマホ動画で行うクラウドサービスを提供してる会社があります。創業者の貴山さんは、学生時代からの付き合いで、かれこれ20年来の友人でした。
順調にプロダクト開発が進み、2020年春にVCからはじめて資金調達をするタイミングがきました。それがたまたま、新型コロナウイルスに対する最初の緊急事態宣言が発令された時期と重なってしまった。当時、パートタイムCFOのような感じで、かなり力を入れて資金調達を手伝っていたのですが、それまでで一番苦労した資金調達となりました。
成長ストーリーを整え、投資家にとって十分に魅力的なプレゼンテーションができたと思っていたのですが、VCの皆さまからは「残念ながら、今回はお見送りさせてください」というご連絡が続き、事業が素晴らしくても、コロナ禍というマクロの要因のインパクトでここまで投資判断が影響を受けるものなのか、と思いました(最終的には、グロービスさんとご縁をいただき、資金調達は無事完了しました)。
有安:もうひとつは、OLTAという2017年創業のFinTechスタートアップへ出資したときのエピソードです。僕が創業時に約1,000万円を出資させてもらい、半年後に5億円の調達。さらに、その1年半後に25億円を調達したというのは、思い出深いです。当時、「パートタイムCFOとして、全力でスタートアップの資金調達を手伝ったら、どんな感じだろうか?」という疑問を解消すべく、すべてのVCミーティングに私も出席しました。シリーズA投資家の皆さんのダイレクトな反応に触れられて、シード投資家としても非常に学びが深かったです。
スタートアップの景気が良いタイミングで、良い事業領域、良い経営チーム、良いエクイティストーリーでトントン拍子に話が決まっていき、爽快感がある資金調達でした。
今振り返ってみても、ここ10年でスタートアップを取り巻く環境は変わりましたよね。
宮田:そうですね。5年くらい前に「カスタマーサクセス」で検索してもセールスフォース社の求人ページしか出てこなかったのに、今ではさまざまな企業が毎日のようにカスタマーサクセスのノウハウを発信していたりしますよね。
有安:あと、スタートアップのファウンダー、経営陣の方々の学歴や職歴もハイエンドなことが増えましたね。みなさん、海外のトップスクールの大学院やロースクールの出身だったり、医師免許を持っていたり、官僚経験がある方がスタートアップの世界に入ってきてくれています。僕自身も、これからは守りに入った瞬間に学習が遅れてしまうので、どんどん新しいことを仕掛けて、学習して吸収して、次の新しいことへ活かすサイクルを回していかないとな、と危機感をもっています。
2023年は市況が傾いてはいますが、長期で考えると事業作りの仕込みのタイミングとしてすごく良いんですよね。なので、今年は筋肉質の骨太なスタートアップがいくつも出てくるんじゃないかな、出てきてほしい、と思っています。
宮田:たしかに。リーマンショックのときにもビジョナルさんやユーザベースさんをはじめ、すごい会社が誕生していますよね。私たちもまだまだ頑張らないといけませんね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
(企画:宮田 昇始 / 取材・文:上野 智 / 撮影:岡戸 雅樹)