年々注目度が高まっている「海外向けSO」
宮田:先日のKIQS勉強会は大盛況でしたね。今日は来場者からもリクエストのあった「“海外で働く社員向け“ストックオプション(記事では「海外SO」といいます)」のよもやま話について野瀬さんに改めて聞いてみようと思います。質疑応答のパートで、会場にいらっしゃったWiLの難波さんから「ぜひ記事にしてほしい!」とご指名のあった件です。
※ KIQS勉強会は150名近くの参加応募をいただきましたが、残念ながら会場の関係で全員をお招きすることはできませんでした。勉強会の模様については近々Stock Journalでも記事にする予定です。
野瀬:はい。実は勉強会の翌日にそのVCの方から「投資先が記事化を待てないと言っているので、直接話してもらえないか」というご連絡をいただき、翌週にみなさんとお話ししたところなんです。メルカリ時代に米国と英国法人の役員・従業員にSOを発行して、行使・売却するところまで実務でやったことがあるので、その経験をベースにいろいろとお話しさせていただきました。
宮田:反応はどうでした?
野瀬:お相手はユニコーンも射程圏内のスタートアップのCFOと管理部門の方だったのですが、「これまで100時間くらいSOに費やしてきたのですが、最も有意義な時間でした」という嬉しいフィードバックをいただきました。私は弁護士ではないので、法律が絡むアドバイスはできないのですが、実務上どこでみなさんが迷子になって、見えない落とし穴が隠されていて、実際に事故が起こっているか、みたいなことはある程度分かります。そうした実務観点でのアドバイスがお役に立ったようです。
宮田:今回の件以外でも、初期のスタートアップから「海外の従業員にSOを付与したいが、どうしたらいいかわからない」という相談を個人的に受ける機会がとても増えているなという実感があります。国が「スタートアップ育成5か年計画」でユニコーンを100社生み出すことを目標に掲げていますが、時価総額1,000億円の会社を作ろうとすると(事業ドメインにもよりますが)海外人材、特に海外に住むエンジニアの採用は不可避ですよね。メルカリさんの例を見ても、彼ら・彼女らに就職先として選んでもらうために魅力的なSOが必要というのは、もはや火を見るより明らかです。
野瀬:そう思います。海外SOの論点はたくさんあるのですが、法務・会計・税務を含む全方面から網羅的にお話しすることは難しいため(たぶん真面目にやると数冊分の本になります(笑))、今回はいろんなスタートアップ関係者から「え!知らなかった!」という反応の多かった内容にフォーカスしたいと思います。
※会社法上の手続きや現地でのペーパーワークなどは、専門家に聞くことで解決できるため、今回は触れません。
米国にも税制適格SOはある?日本との違いは?
宮田:「海外SO」というと広いので、今回は米国に絞って聞いてみたいと思うのですが、そもそも一般的な米国のSOってどのような設計になっているのですか? 米国にも税制適格SOってあるんでしょうか?
野瀬:米国にも、「Incentive Stock Option(ISO)」という、日本の税制適格SOのような課税の繰延と優遇税率を受けられる制度があります。ただし、税制適格となる要件や行使後の株式を売却する際の課税関係は日本と米国では異なるので要注意です。
宮田:どの辺りに違いがあるのでしょうか?
野瀬:例えば日本の税制適格SOの行使期間の要件である「付与決議日から2年経過」という制限は、米国のISOにはありません。ほかにも、年間行使額の上限、保管委託要件の有無、付与者の要件等、多くの違いがあるんです。また、日本では行使後の株式は保有期間の縛りがなくいつ売却しても譲渡益課税(約20%)の対象となるため、上場後はSO行使後すぐに株式を売却することが一般的ですが、米国ではSO行使後も株式として1年間保有(かつ付与から2年経過)しないと税率の低い「Long-term capital gain」扱いにならず、高い税率が課されることになります。なので、日本の税制適格SOをそのまま流用することはできず、まったく別物として設計を考える必要があります。
宮田:同じ税制適格SOでも国によって要件が全然違うんですね! 契約の条件はどうですか?
野瀬:肌感ですが、米国のビッグテックだと「1year cliff and monthly vesting」という計4年(48か月間)のべスティング条件が付された契約が多いようです。つまり、最初の1年間は一切権利確定せず、1年経過後に25%(12/48)、その後3年(36か月)間にわたって毎月1/48ずつべスティングするという内容です。日本では税制適格SOの場合「付与決議日から2年経過後」という行使期間の要件があるので、最初から実質2年間のクリフが付いているといえますね。
宮田:毎月ベスト(権利確定)するって、めちゃ管理が大変そうですね。従業員は嬉しいかもしれませんが、なんでそんなに細かく刻むんですか?
野瀬:日米の雇用環境の違いが大きいんじゃないかと思います。日本だと法律上簡単に従業員をクビにはできないですが、米国だと「Employment at will」といって、会社が比較的自由に従業員を解雇できる雇用契約がメジャーなのです。そうした雇用契約には、1年や半年ごとにベストするSOよりも、毎月ベストするSOの方が合ってますよね。
宮田:たしかに。「明日クビです」って言われたときに「あと1か月在籍すれば、半年分のSOがベストしたのに!」って状況を想像すると、揉め事を避けるためにも毎月ベストするSOの方が理にかなってますね。そういえば、IPO条件(上場するまで行使できない)や退職時の持ち出しはどうですか? 権利を持ったまま辞められる契約が多い印象ですが。
野瀬:IPO条件は米国では一般的ではなく、会社が上場前であっても行使できるケースが多いようです。理由は大きく2つありそうで、1つは米国に保管委託要件(国内において、未上場でのSO行使が非常に困難になっている要因)がないこと、もう1つはセカンダリー市場が整備されていることです。活発なセカンダリー市場があることで、未上場会社の株式も現金化できるんですね。なので、IPO前行使のニーズも生まれるんだと思います。日本はまだそういった大きいセカンダリー市場が不在なので、仮に「上場前に行使できますよ」と言われても、行使するニーズがないのかと。現金化できない株式を持っていても、あまり意味がないので。
ちなみに、IPO条件は日本の税制適格SOの要件ではないので、日本でもセカンダリー市場が活発になれば、米国のように上場前行使が一般的になるんじゃないでしょうか。1つ目の保管委託要件もクリアする必要があるのですが、そちらは他の記事で詳しく書いたので今日は省略しますね。
次に退職時の持ち出しの話ですが、日本では退職時の持ち出しと退職後の行使については会社が選択できます。つまり、発行時(割当契約締結時)に会社の取締役や従業員であれば、権利行使時に退職していても、税制適格要件は満たすことになります。一方、米国のISOでは、退職をした場合には退職後一定期間(3か月間)内に権利行使をすることが税制優遇のための必須要件となっています。一定期間内に行使しなかった場合は非適格になりますが、その場合でも権利を失うわけではないようです。
宮田:ということは、上場前に辞めた米国の従業員が会社の株主になるケースがあるってことですね。株主総会とかめちゃ大変そうですね。
野瀬:その通りです。日本のスタートアップが米国の従業員向けにISOを発行する場合、退職した元従業員とのコミュニケーションをどうするかは事前によく考えておいた方がいいですね。特に、日本の本社に株式報酬の管理機能が集約されている場合、海外にいる株主とのやりとりは本当に大変です。常任代理人の問題や書類の英訳など、やることが一気に増えます。
日本の契約書を海外SOにそのまま使うと非適格に
宮田:では実際、日本のスタートアップが米国の従業員にSOを渡すときに気を付けるべきことって何でしょうか?
野瀬:ずばり税務です。法人の税務ではなく、SOをもらう従業員本人の個人税務です。さきほど日米で税制適格SOの要件が異なる点に言及しましたが、「米国の人に付与するといっても、うちは日本の会社だから、日本の税制適格要件をきちんと満たしていればOKでしょ」とそのまま米国子会社の従業員に日本の契約書を渡しているケースをよく見かけます。これは、残念ながらアウトです。
宮田:え~。日本の会社が発行するSOなので、日本の税法に則った契約書でOKそうな気もするのに、なんでアウトなんですか?
野瀬:税務の世界では、どの国の税法が適用されるかは、基本的に「源泉所得」といって、会社がどの国にあるかではなく、納税者(SOを持つ従業員)がどの国に住んで働いているかによって決まるため、日本の会社が発行するSOであっても、海外に住む人に付与する場合は、その現地の国の税法をベースに設計を行う必要があるのです。先日のKIQS勉強会でも「日本のスタートアップが、米国向けに税制適格SOのような税的メリットのあるSOを発行することは可能か?」という質問をいただきました。
答えはYesです。ただし、さきほど触れたISOの要件をすべて充足していることが条件です。日本の税制適格SOの契約書をそのまま使っても、要件の異なる米国では非適格扱いになってしまうのです。米国現地の弁護士や税理士のサポートは必須といえるでしょう。
宮田:米国子会社の従業員に税制適格SOを渡したい場合は、日本の従業員向けの契約書とは別の契約書を準備しないといけないということですね。これを初期スタートアップがやるのは大変ですね……。専門家への費用もかなり高そうですし、社内のリソースもだいぶ割かれそう。
野瀬:付与対象者の規模にもよりますが、海外へのSO付与は費用対効果を考えて、場合によっては最初から非適格SOとして渡す(その分個数を増やす)とか、株価連動型の現金賞与であるファントムストックで渡す、といった代替案の検討もすべきかなと思います。
二重課税!? 赴任者の税務が一番大変
宮田:海外子会社の立ち上げ期は、現地採用の従業員とは別に、日本の親会社から役員や従業員を赴任させるケースが多いですよね。さすがにその場合は、数年後に日本に帰ってくるので日本の税務に則っていれば大丈夫ですよね?
野瀬:残念ながら、大丈夫じゃないんです。SOに関する税務の中で、最も複雑な課税関係が生じるケースになります。SOの場合、SOを付与されたときに住んでいた国、その後の行使や権利確定までに住んでいた国とその期間、行使を行ったときに住んでいた国、行使後の株式を売却したときに住んでいた国、で課税関係や申告方法が枝分かれするケースが多いのです。日本と赴任先の国との間で結ばれている租税条約や、現地の税法を細かく確認する必要があります。
宮田:ということは、日本で税制適格SOをもらって、その後米国に赴任して、また日本に帰ってきて上場してから行使、とかだとめちゃ大変ですか?
野瀬:そのケースだと、日本と米国の両方に納税義務が生じる可能性が高いですね。しかも、日本の税制適格SOはそのままだと米国では非適格扱いになるので、税率が高くなってしまう上に行使や権利確定のタイミングで課税が生じると思います。「二重課税」といって、同じ利益に対して2ヵ国から税金を課されるワーストシナリオも想定しておいた方がいいでしょう。
宮田:まさかの二重課税(笑)しかも非適格扱いとかシャレにならないですね(笑)
野瀬:「外国税額控除」という二重課税を調整するための手続きもあるのですが、ことSOについてはその複雑さは一般的な税務担当者が対応できるレベルを超えているような気がします。相手国の税法にも詳しい国際税務の専門家が必要ですね。
宮田:これって赴任じゃなくて出張だったら二重課税されないとか、なにか工夫できる可能性はないんでしょうか……?
野瀬:出張も解決策にはならなくて、同じように課税される場合があるのです。出張であっても、年間の大半(日米租税条約だと年間183日以上)を海外で過ごしてしまうと、現地での納税義務が生じることがあるんです。知らずに出張を繰り返した結果、183日を数日超えていたせいで一気に税金が高くなって悲しい思いをした、というケースを耳にしたことがあります。
しかもこれって日本の本社や現地法人、または個人に税務調査が入って発覚するケースが多いので、その時になってはじめて国際税務の専門家を探して、事実関係を整理して、ってやらないといけないんですよね。カオスですよ。
「日本+1ヶ国」の要件を満たすSO設計は可能か
宮田:赴任者にしても出張者にしても、二重課税のリスクがある。せっかく事業成長のために海外に行っているのに……何か対応策はないものでしょうか?
野瀬:付与時点では想定していなかった国や地域で事業展開する可能性や、現地の税法が変わる可能性もあるため、完全にリスクゼロにはならないのですが……日本ともう1ヶ国の税制適格の要件を同時に満たす契約書を設計できれば、さきほど挙げた問題はある程度クリアできます。
宮田:なるほど〜!それはすごく良い解決策ですね!
野瀬:ただし、両国の要件をオーバーラップさせる必要があるため、両国の法律に詳しい弁護士や税理士のサポートが必要になり、それを社内からリードする人材の配置も欠かせません。もらった本人の税務申告も当然会社のサポートなくしてはできないので、とてもじゃないですが、主業務の片手間でできるようなタスクではないと思います。
米国企業では「Stock Plan Admin」という株式報酬のあれこれを専門的に引き受けるロールがありますが、日本でも株式報酬を大胆に使っていこうとすると、そうした人材の育成やチーム作りが必要なのかもしれません。
ちなみに、前職のメルカリには「Incentive & Equity Planningチーム(通称「株チーム」)」があって、株式報酬の入り口である設計から出口の税務申告までを一気通貫で見ていました。
宮田:メルカリさんの株チームのような専門チームをつくり、それを実行する専門性が高いメンバーをたくさん採用することって、普通のスタートアップにとってはかなり難易度が高いですよね。
完全に思いつきなんですが、日本と米国の税制適格要件を同時に満たす契約書ひな型「KIQS for US」みたいなのをつくって無償公開するってどう思います?
もちろん米国の法改正もチェックしなければならないので、Nstock社が負担する専門家の費用はめちゃくちゃ高くつくかもしれませんが……!
野瀬:またそんな思いつきを! たしかにそんなひな型があるとめっちゃ便利でしょうね。でも契約書を作るだけでは不十分で、税制適格を維持するための運用マニュアルみたいなものも必要です。契約した後の落とし穴がたくさんあるので。お金もたくさんかかりそうですよ!?
宮田:たくさん! 一千万単位とか……? NstockのSaaS事業がPMFしたら、やるかどうか検討しましょうか……!
NstockではSOに関するコンサルサービスを提供する予定はないのですが、SaaSや契約書のひな型を通して、株式報酬に真剣に向き合う会社さんをサポートしていきたいですね。
さいごに
宮田:税務の話だけでお腹いっぱいになってしまいました。今日はこの辺で切り上げて、反響が良ければまた続きをお話ししましょう! 続きをやるとしたら、どんなお話がありますか?
野瀬:非居住者口座(海外に住む人向けの証券口座)の話や、海外からの行使・株式売却の実務の話もいろいろネタがあります。
宮田:「日本の証券会社はなかなか非居住者向けに口座を開いてくれない」という話を聞いたことがあります。行使・株式売却も日本のやり方とは色々違うのでしょうね。楽しみにしています〜。
そういえば、前回の記事を読んだ人たちから「野瀬さんは実在する人物なの?」「顔出しはしないの?」っていう質問をもらいましたが、顔出しの予定はありますか?
野瀬:ないです♡