「国税庁といたしましては、ストックオプションを行使した日の属する年分の給与所得に該当するものと考えているところでございます。」
2023年2月20日に行われた衆議院の予算委員会において、信託型ストックオプション(以下「信託型SO」)の税務上の取扱いについて、国税庁から、行使時の経済的利益は「給与として課税される」旨の見解が明らかにされました。
信託型SOは、税制適格SOの「使いにくさ」、例えば付与できる対象者や付与上限額が決まっている、をカバーするために、民間企業で開発されたスキームです。税制適格のような厳しい要件を満たすことなく同様の税的メリットが享受できることに加え、通常はレイターステージに進むにつれ上昇する行使価額を安い価額で固定することで、従業員がトータルで受け取れるキャピタルゲインを最大化できると謳われていました。2017年ごろから導入企業が増えはじめ、2021年には、実に18社の導入企業が新規上場を果たしています。
この信託型SOが、従来の「譲渡益課税(約20%)」から「給与課税(最大45%、住民税を含めると最大55%)」となった場合、従業員の手元に残るキャピタルゲインに大きな影響が出ます。課税のタイミングも「売却時」から「行使時(+売却時)」に前倒しされ、株式が現金化される前に課税が発生する「キャッシュインなき課税」が生じることになります。
加えて、これは既存ルールの「変更」ではなく、「従来から給与課税の対象と考えている」という見解の明示であるため、過去の信託型SOにも同様の取り扱いが適用されることから、すでに信託型SOを行使したり株式を売却した従業員、SOを発行した会社にも大きな影響が及びます。
日経新聞によると、信託型SOの導入企業数は約800社、対象人数は約5万人。国税庁が今回発表した税務処理を適用すると、合計200億円規模の税負担増に繋がる可能性があるということです。(2023/05/26 19:30 日経速報ニュース)
上記の通り、企業側の認識とは異なり「信託型SO=行使時に給与課税」となる場合、信託型SOを導入済みの会社や従業員、さらには信託型SOの導入を検討している会社への影響は計り知れず、大きな混乱が予想されました。そのため、2月20日以降はハッキリしたことがわかるまで、Nstockからは信託型SO関連の情報発信を控えていました。
その後、昨日5月29日に開催された「スタートアップの経営者や支援者のためのストックオプション税制説明会」にて、国税庁・経済産業省から正式な説明があったことを受け、本解説記事を作成しました。
説明会では、上記の信託型SOに関する課税関係以外にも、税制適格SOに関する新たな株価算定ルールも公表されました。こちらはスタートアップにとって非常に有利な内容で、おそらく株式報酬を推し進める国の中でもトップレベルの内容になっています(後述します)。
なるべくわかりやすい記事になるよう、あえて口語調の記事にしています。「自社で信託型SOを導入しているが、どうしたらいいの?」という方に、ぜひ読んでいただけたらと思っています。
また、解釈の誤りや、誤解を招くような表現があった場合は、ご一報いただけますと幸いです。
プロフィール
- 宮田:Nstock CEO 宮田 昇始
- 野瀬:Nstock ドメインエキスパート 野瀬 梓紗
- 小林:Nstock アドバイザー/シニフィアン 共同代表 小林 賢治
信託型SOが給与課税になるってどれくらい大変なこと?
宮田:ついに国税庁から「信託型SO=給与課税」という取り扱いが、正式に公表されました。国税庁のスタンスは、既存の課税ルールの「変更」はなく「従来から給与課税の対象と考えている」というスタートアップにとって非常に厳しいものでした。
私自身、SmartHR社では信託型SOの導入を決定した立場であり、まさに今回の影響を受ける立場です。また、若手企業家から「信託型SO導入しようと思っているので話を聞きたい」という相談にも幾度となく乗ってきましたし、信託型SOに関するイベントやインタビュー記事を通じて、導入企業として信託型SOをおすすめする立場で話をしてきたこともあり、その責任も感じています。
今回の記事では、影響を受ける各社がどのような対応をとるべきなのか、状況別になるべくわかりやすく解説をしていきたいと思います。
まずは小林さん、今回の件はスタートアップにどのような影響が出そうでしょうか?
小林:これまで譲渡益課税という認識のもと納税・会計をやっていたわけですから、多方面で影響がでます。
まずもって、信託型SOを行使した従業員個人に大きな影響がでます。給与課税は譲渡益課税より税率が高いため、その分の差額を支払うことになります。
さらにそれだけでなく、会社側にも源泉徴収義務者として源泉所得税を納付する義務が発生することになり、その支払い義務が果たされていなかった分について、新たに納付しなければならなくなります。
キャピタルゲインの大きさによっては、会社側の源泉徴収額が非常に大きくなり、従業員のみならず、会社側の財務の上でも負担の大きいものになる可能性があります。
上場会社においても同様で、これまで計上していなかった源泉徴収支払い分が新たに財務諸表に載ってくるとなると、混乱は少なからず起きそうです...。
宮田:ありがとうございます。信託型SOを付与された従業員だけでなく、会社にも影響が出るということですね。
どのような対応が必要になるのか、野瀬さんから詳しく解説お願いできますでしょうか?
野瀬:まず、信託型SOの行使時の経済的利益が給与として課税される、ということがどういうことなのか説明します。ここでいう経済的利益とは、行使時の株価からSOの購入価額(CEO等が自腹で購入した有償SOの価額)と行使価額を差し引いた額を指します。
例えば、CEOが50円で購入した有償SOを付与され、株価1,000円のときに行使価額200円で行使したとします。このとき、1,000-50-200=750円が給与所得としてみなされ、最高45%(住民税を合わせると55%)の税金が課されることになります。
この給与所得は源泉所得税の対象となります。みなさんが毎月受け取る給与から税金が差し引かれているのと同じように、会社が源泉徴収して納めるものです。冒頭で触れた通り、行使時にはまだ現金が手元にない(なかった)ことから、税金をまかなえる分の株式を売却するか、もしくは貯金等から納税資金を準備する必要があります。それを会社に払い込み、会社が税務署に納める、というのが本来のオペレーションになります。
詳細は後述の「論点1-4」で触れますが、すでに信託型SOの行使がされている場合、会社は上記の税金の負担者を決める必要があります。本来の負担者である従業員なのか、会社が肩代わりして支払うのか。前者の場合、従業員(退職者がいる場合は元従業員も含む)に対する説明が必要になるのは言うまでもありません。
一方、信託型SOを導入しているものの、まだSOの行使がされていない会社については、後述「論点1-1」「論点1-2」でお話しする「税制適格SOに切り替えるかどうか」の判断を行う必要があります。
宮田:ありがとうございます。「信託型SO=給与課税」という取り扱いの影響がとても大きいこと、各社の状況によって対応が分かれることがわかりました。
例えば、給与課税を受け入れてそのまま信託型SOを維持するケースや、既存の信託型SOを取り消して新たに税制適格SOを出し直すケースなどが考えられます。
(6/1追記)未確定な部分は多いものの、未上場の場合、信託型SOを取り消さずに、既存の信託型SOを税制適格SOとして付与できる余地も残されています(「論点1-5」で後述します)。
また、説明会において「税制適格SOの株価算定」について新たなルールが提示されました。これは特に未上場のスタートアップ業界全体にとって非常にメリットが大きい内容であり、信託型SO導入各社の状況次第では「信託型SO=給与課税」の問題を解決するソリューションにもなり得そうだと考えています。
今回、信託型SOのネガティブな内容だけではなく、税制適格SOの新ルールというとてもポジティブな内容がセットで発表された背景には、「スタートアップ育成5ヵ年計画」を通じてスタートアップ業界を後押ししてくださっている方々のご尽力があったのではと個人的には感じております。
それでは、次の章から各ケースについて解説していこうと思います。
論点1. 信託型SOを発行している会社はどうしたらいいの?
宮田:今回の説明会では、「信託型SO=行使時に給与課税」というネガティブな話に加えて、「税制適格SOの株価算定」についても新たなルールが示されました。これはスタートアップに対してとてもポジティブな内容だと思いました。
今回示された株価算定ルール(以下「新株価算定ルール」)を適用すると、これまでの通例よりも、大きく税制適格SOの行使価額を下げることができ、信託型SOの最大のメリットであった「行使価額を低く抑える」を、税制適格SOで実現できるようになります。
新株価算定ルールの施行後は、恐らく多くのスタートアップが信託型SOを取り消した上で、新たに税制適格SOを交付し直すことになると思います。この新株価算定ルールに係る通達改正案は、5月30日から6月29日までパブリックコメントにかけられ、その後正式に施行される予定です。
(6/1追記)未確定な部分は多いものの、未上場の場合、信託型SOを取り消さずに、既存の信託型SOを税制適格SOとして付与できる余地も残されています(「論点1-5」で後述します)。
ここからは、会社の状況別に対策を解説をしていきます。
正確性を犠牲にして、ざっくり分類すると下記のような分け方になるかなと思っています。
1. 信託型SOを導入している / 行使済み / 上場済
- 税金の負担者を決める必要がある
- 従業員への経済的なサポートが必要になる可能性がある(従業員負担の場合)
- 過去の決算に影響がでる可能性がある(会社負担の場合)
- 影響度: 高
2. 信託型SOを導入している / 未行使 / 上場済
- 税制適格SOに切り替えできるが、新株価算定ルールは使えない
- 加えて、行使できない期間が2年追加されるデメリットがある(税制適格の要件)
- 計画的に信託型SOを行使すれば、税率をある程度下げられる可能性
- 影響度: 低〜高
3. 信託型SOを導入している / 未行使 / 未上場だが上場が近い
- 税制適格SO(新株価算定ルール)に切り替えられる
- 既存の信託型SOを税制適格SOとして付与する余地も (6/1追記、論点1-5参照)
- しかし、行使できない期間が2年追加されるデメリットがある(税制適格の要件)
- 影響度: 低〜中
4. 信託型SOを導入している / 未行使 / 未上場
- 税制適格SO(新株価算定ルール)に切り替えられる
- 既存の信託型SOを税制適格SOとして付与する余地も (6/1追記、論点1-5参照)
- 影響度: 低
5. 信託型SOを導入していない(税制適格SOなどを利用している場合)
- 新株価算定ルールで既存の税制適格SOの行使価額が大幅に下げられる場合、税制適格SOの出し直しを検討してもいいかもしれません
- 影響度: なし
まずは、多くの未上場会社が該当する「税制適格SOへの切り替えを検討すべきケース」から解説していきます。
論点1-1: 税制適格SOへの切り替えを検討すべきケース
宮田:信託型SOを導入している、多くの「未上場会社」がこれに該当すると思います。まずは「税制適格SOへの切り替えを検討すべきケース」です。
小林:繰り返しになりますが、今回の説明会、スタートアップにとって悪い発表ばかりであったかというとそうでもありません。
「新株価算定ルール」と記事では呼びますが、普通株式の価値算定について明確な通達(通達改正案)が出されようとしていることは、スタートアップ全体にとってとても大きなことだと思います。
税制適格SOの行使価額は、SO発行時点での普通株式の価額を参照して決められます。しかし、これまで、普通株式の明確な算定式というのは定まっておらず、取引をする際にも「実は課税リスクがあるかも...」ということを合わせ飲んで保守的にやっていた面がありました。
今回それがクリアになったということはまずもって大きいのですが、ポジティブな点はそれだけではありません。
新株価算定ルールでは、「取引相場のない株式(※)について、財産評価基本通達に基づき、純資産価額方式/類似業種比準方式で算定することも認める旨が示された」という通達が出されるとの発表がありました(正式な施行日は未定)。さらに純資産価額方式の算定の際には、優先株式の優先分配額を控除して普通株式の価値を算定する、ということも合わせて発表されました。
(※なお、説明会後のQ&Aで、「取引相場がある」とは、「株式上場、もしくは店頭公開している企業が該当する」とのことで、直近で普通株式のセカンダリー取引があったかどうかは影響しない、との回答がありました)
出典:国税庁説明会資料
この記載の通りであれば、多くの未上場会社にとっては著しく普通株式の価額が下がることになり、税制適格SOの行使価額を非常に低く設定できることになります。
これまでは、
- 信託型SO=資金調達ラウンドが進んでも低い行使価額で将来にわたって価格を固定できる
- 税制適格SO=資金調達ラウンドが進むごとに行使価額が上がっていく
という違いがあり、信託型SOを導入する積極的な後押しになっていたのですが、今後はそこを気にしすぎる必要はなくなってくるでしょう。
これまでは普通株式の算定に際し、上場がどれぐらい近いかや、直近での資金調達の有無、セカンダリーの取引価額など、様々なことを考慮していました。今回の通達改正では、極めて単純明快な方法で算定でき、かつその行使価額が低くなることになり、未上場企業にとって非常にポジティブな変化になります。
ただ、上記は税務上の扱いについてであり、会計上の扱いについてはまだ不透明な状況です。
現状、日本会計基準では、未上場企業の会計処理については、税制適格SOの権利行使価額を株価以上とすることで本源的価値をゼロ(つまり費用計上なし)として取り扱ってきましたが、今回の通達改正後の会計処理についても同じように取り扱って良いかについては未だ不透明であり、国税庁からの説明でも会計士協会の見解を待ってほしい、という趣旨の回答がされていました。
仮に、会計上は増資等の価額を参照して本源的価値を算出するとなれば、多額の株式報酬費用が計上されることになり、PL上大きな赤字が発生してしまいます。そうなると、IPOプロセスにも大きな影響が出るほか、場合によってはIPO後の資本政策にも影響が出かねません。
税制適格SOが税務上使いやすくなったのは間違いありませんが、会計上のインパクトも非常に大きくなることもありうるので、ストックオプションについての会計基準の取り扱いが明確になってから導入を判断する方が無難でしょう。昨日の内容を受け、会計士協会も当然動いてくれているとは思うので、できるだけ早期(できれば今年度中)のルールの明確化を期待しています。
宮田:なるほど、いきなり新しい税制適格SOに飛びつくのではなく、新株価算定ルールの施行と、会計基準の取り扱いを待つ必要がありそうですね。
この2点がスムーズにクリアになれば、信託型SOを導入済みの未上場会社にとっては大きな救いになりますし、長い目で見るとスタートアップには大きなプラスのニュースということになりそうですね。
論点1-2: 具体的にはどうやって税制適格SOへの切り替えを判断するの?
宮田:信託型SO行使前の、多くの未上場スタートアップは、新株価算定ルールでの税制適格SOの出し直しが有効そうということがわかりましたが、具体的にはどのようにジャッジすればいいでしょうか?
野瀬:税制適格SOには税制上の要件がいくつもあるため、切り替えにあたってはそれら要件を充足できるか?というチェックがまず必要です。その上で、切り替えた方がお得か?という試算を行うのが良いと思います。1つずつ見ていきます(ちなみに、信託型SOでは下記のいずれの要件も不要です)。
1. 付与者の要件
信託型SOと異なり、税制適格SOは法人、監査役、発行済株式総数の1/3超を保有する大株主とその特別関係者には付与することができません。
2. 行使期間の要件
税制適格SOの行使は、付与決議の日後2年を経過した日から15年(または10年)を経過するまでの間に行う必要があります。信託型SOの代わりに税制適格SOを発行した場合、この2年の待ち時間が新たに発生することになります。権利確定が近い信託型SOの場合、税制適格SOの低い税率のトレードオフとして「2年の待ち時間」を考慮する必要があります。もっとも、新たに発行する税制適格SOを退職後も行使できるよう設計すれば、従業員による一定の理解は得られるかもしれません。
3. 付与上限の要件
税制適格SOは、年間の行使価額が1,200万円を超えない範囲で付与する必要があります。レイターステージの会社では、1株あたりの価額が高くなり、思ったような個数を付与できない可能性があります。ただし、前述の通り、新株価算定ルールが正式に使えるようになると行使価額そのものが下がるため、一定の解決は期待できます。
4. 保管委託要件
手続き面では、証券会社等と保管委託契約を結ぶ必要があります。保管委託要件とは、「会社と証券会社の間であらかじめ締結される保管の委託に関する取決めに従い、SOの行使後直ちに、付与会社を通じて、当該証券会社の営業所に保管の委託がされること」というものです。手続き上の話ですが、制度切替を検討している会社は、対応漏れがないよう注意しましょう。
上記要件が満たせる場合、「信託型SOを維持する場合」vs「税制適格SOに切り替える場合」の想定キャピタルゲインを試算してみましょう。1.が既存の信託型SO、2.が新たに発行する税制適格SO、の想定キャピタルゲインの計算式です。計算の簡略化のため、行使時と売却時の株価は同じと仮定しています。
- 信託型SO:(行使時想定株価ーSO購入価額ー行使価額)x所得税率(最大45%+住民税10%)
- 税制適格SO:(売却時想定株価ー新株価算定ルールにより算出した「付与契約時」の行使価額)x譲渡益税率(約20%)
行使価額は、信託型SOでは低めにロックされていることが多いかと思います。税制適格SO向けに新たに算定する行使価額が信託型SOと同じくらい低く抑えられるのであれば、課税の繰り延べ(行使時課税ではなく売却時課税)が受けられ、より低い税率が適用される税制適格SOに切り替えた方がお得、という判断になります。ただし、新たに税制適格SOを発行する手間や2年の待ち時間は生じてしまいます。
小林:なるほどです。
精緻にデータを分析したわけではなくガッツ・フィーリングに基づくものですが、多くのスタートアップが債務超過であり、また最近ではほとんどのスタートアップで優先株式で調達しているでしょうから、純資産価額方式で価値算定して優先分配額分を控除すると、多くのケースで普通株式は備忘価格(1円)になるのではないでしょうか。
ただ、一部のスタートアップでは、すでに利益も出て債務超過も解消していると言うケースもあるので、「必ず備忘価格で設定できる」というわけではない点は注意が必要です。
野瀬さんの言う通り、外部の算定機関や監査法人などの専門家にもしっかり確認した上で、きちんとシミュレーションする必要があります。
ちなみに、SO発行と普通株式のセカンダリー取引(例:創業者による持分の売却など)が近接して発生する場合が実際にありえますが、それぞれの価格は相互に影響を受けない、との回答が説明会後の個別Q&Aでなされたと現地の参加者からは聞いています。
例えば、純資産価額ベースで普通株式の価値を低く算定したSOを発行した後に、創業者がその価額から大きく上下する価額で売却していたとしても、低廉譲渡か否かの判断等に当該SO発行時の算定結果は参照されず、逆に、SO発行前に高い価額でセカンダリーの売買が発生していたとしても、財産評価基本通達のセーフハーバーラインを超えていれば、税制適格SOとして扱われるということが想定されます。このあたりの実務上の疑問点は、パブリックコメントなどを通してクリアにしていくのが良いかも知れません。
宮田:もともとのトレンドとしてあった未上場の長期化と、昨今の株価低迷を受けてのIPOの延期で、セカンダリー取引が増えてきていると思うので、税制適格SOの株価と、セカンダリーの株価が独立して扱われることが明確になったことは大きいですね。
また、野瀬さんのコメントにあった「2. 行使期間の要件」で、「2年の待ち時間が新たに発生する」とありました。
上場間近の会社だと「行使まで2年も待てない!」という人も出てきそうですが、そういう人には給与課税を受け入れた上で信託型SOをそのまま維持、待てる人には税制適格SOを付与し直すというのもアリですね。
SOを保有する従業員が多く個別対応が難しい会社では、全員に信託型SOの半分を付与したまま、半分を取り消し、その分を税制適格SOとして付与し直すということもできそうです。2年待ちが発生しない信託型SOと、税率が低い税制適格SOを組み合わせることで、トータルの税金を低く抑えられる。加えて、所得税は累進課税なので、特に信託型SOの課税所得が大きい人や給与が高い人には有効な方法です。
野瀬:ほかに気になることとして、2点ほどあります。
1つ目は、日本の株価算定ルールが海外でそのまま受け入れられるか?という点です。
気になる会社は現地の会計士等に詳細を確認いただきたいのですが、例えば米国だと税務当局が定めたIRC Section 409Aという株式算定ルールがあり、非上場会社はこの409Aに従って株価算定を行う必要があります。
日本国内の従業員には純資産価額方式の株価を使用し、米国居住の従業員には409Aに基づく別の算定ルールで求めた株価を使用すると株価が一物二価状態になり、色々なリスクがありそうですよね。
2つ目は会計基準です。純資産価額方式で算定された株式がIFRSでどう取り扱われるのか等、現時点ではクリアになっていない論点がたくさんありそうです。IFRSを採用している会社は、税制適格SOに切り替えを検討する場合は会計上の論点も事前に洗い出す必要があります。
宮田:SmartHR社はまさにIFRSを採用しているので、この論点がクリアになるまでは税制適格SOで出し直しが可能かは不明瞭ですね。監査法人にも確認が必要になりそうです。
あとは、野瀬さんが言っていた「4. 保管委託要件」ですが、まだ主幹事が決まっていない会社であればIPOプロセスに入ったときに指摘されて気が付けると思いますが、すでにIPOプロセスに入っている会社はうっかり対応が漏れることに気をつけないとですね。IPOプロセスに具体的に入っている会社は税制適格SOを出し直す際には注意ですね。
ここまで、税制適格SOを出し直せる場合についての解説でした。
Nstockでは、税制適格SOの契約書ひな型「KIQS」を無償公開していますので、会計処理を含む様々な論点がクリアになった後、税制適格SOを発行される際にはぜひご活用ください。税制適格SO発行にかかる手間削減やそれに伴うリーガル費用の抑制、あとは退職時に失効する/しないといった論点整理も抜け漏れなく検討できるよう設計されています。我々は一切フィーも頂きませんので、安心してご活用ください。
論点1-3: 税制適格SOへの切り替えが難しいケース
宮田:次に、「税制適格SOを出し直す」では対応できないケースについて聞きたいのですが、まずはどんな状況の会社が当てはまりますか?
野瀬:以下のような場合は、信託型SOから税制適格SOへの切り替えが難しいと思われます。
1. 信託型SOがすでに行使されている
信託型SOが行使されたタイミングで「給与として課税される」ことが確定することから、すでに行使してしまった信託型SOについては、税制適格SOに切り替えることはできません。
2. 上場が極端に近い
上場審査の進捗によっては、上場直前のストックオプションの追加発行は、主幹事や取引所に相談する必要があります。
3. 税制適格SOの付与者の要件を満たせない
税制適格SOは、法人、監査役、発行済株式総数の1/3超を保有する大株主とその特別関係者には付与することができません。
4. 付与者が社外協力者
税制適格SOは、一定の要件を満たせば社外の人にも付与することは可能ですが、後述する理由により広く普及するには至っていません。
宮田:「1. 信託型SOがすでに行使されている」のパターンは後ほど詳しく解説するとして、まずは他のパターンから解説していこうと思います。
「2. 上場が極端に近い」については、各社の状況によっても様々でしょうし、主幹事や取引所に直接ご相談されるのが確実かと思います。
「3. 税制適格SOの付与者の要件を満たせない」はかなりの例外だと思いますし、あまりそういった事例が想定できないので、こちらも割愛させていただきます。
「4. 付与者が社外協力者」のパターンには該当するスタートアップも多そうですね。業務委託のエンジニアさんに付与している話はよく聞きますし、YouTuberやインフルエンサーを多く抱えるタイプの事業を展開されているスタートアップも該当しそうです。
野瀬:一応、社外協力者にも税制適格SOを付与できないことはないんです。2019年の法改正(中小企業等経営強化法)でストックオプション税制の適用対象者が社外人材にまで拡大されています。
ただ、会社や付与対象者に関する要件充足のほか、ひとりひとりに経済産業大臣による認定取得や計画・報告書の作成が必要とされており、手続きが非常に煩雑だなという印象が否めません。政府の「スタートアップ育成5ヶ年計画」でぜひ改善を期待したいところです。
そういう事情があるので、社外協力者への付与分については、給与課税を受け入れた上で信託型SOを維持することや、思い切って有償SOを設計・付与するという選択肢も検討すべきかもしれません。
宮田:確かに、外部協力者には有償SOが使えそうですね。
「信託型SO=給与課税」の話が出て以降、「有償SOも給与課税されてしまうのか?」という不安の声も聞かれましたが、その点に関しても不安が解消されました。
野瀬:そうなんです。今回の国税庁の説明で、有償SOについての課税関係が明らかになったのはとても良かったですね。
具体的には、勤務先から適正な時価で有償取得したストックオプションについては、行使時は所得として認識せず、売却時に(株価ーSO購入価額ー行使価額)が譲渡益課税(約20%)の対象となることが明確に示されました。従来のスタートアップ側の認識と一致した内容で、今後も有償SOは安定的に利用できることになりました。
ただし、有償SOは付与者の持ち出し(購入価額)が発生することから、使い方には注意が必要です。会社からの報酬なのになぜ従業員である自分たちがお金を支払わなければいけないのか、という説明が難しいのと、仮に行使条件を満たさなかった場合に購入価額が無駄になってしまう、というリスクがあるためです。
有償SOは税制適格SOが使えない(使いにくい)社外協力者や、税制適格SOの1,200万円上限を超えてしまう人等に絞って活用するのが良いと考えています。
論点1-4: 信託型SOを行使済みの会社はどうしたらいいの?
宮田:最後に、最も影響が大きそうな「行使済み」の会社のケースです。
私自身、SmartHR社で導入していますが、当社の信託型SOはあくまで影響が限定的な「未行使」の状態です。しかし、もしSmartHR社の信託型SOが「行使済み」だったらと想像すると、その経営者の皆さん、担当者の皆さまの心労は想像を絶します。
また、我々の専門性では明言が難しい、上場会社の会計や監査に関する情報もあり、あまり断定的なことが書けていない箇所があります。
すでに本件の情報収集をされている当事者の皆様には、もしかすると新しい発見はないかもしれませんが、情報が少なく、1人で悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。そういった方の一助になればと思っています。
まずは、どのような対応が必要になるか、野瀬さんに解説お願いします。
野瀬:「信託型SOの行使=給与課税」という取り扱いが明確になったことにより、会社は過去に行使された信託型SOに係る源泉所得税を納付する必要が出てきました。納付期限を超過していることから、本税以外に延滞税等の附帯税についても課せられる可能性があります。
納付の方法は2つあります。1つ目は、本来の負担者である従業員に連絡し、新たに税金を支払ってもらうこと。2つ目は、会社が肩代わりして、従業員の代わりに税金を負担することです。これを判断するのは源泉徴収義務者である会社なので、「過去に行使したけどどうしよう」と思われている従業員の方は(退職済みの方を含む)、会社に確認もしくは会社からの連絡をお待ちください。
まず1つ目の方法ですが、「本来の負担者である従業員が負担する」という点においては合理的な一方、付与当時の会社説明とは異なる課税が生じることから、従業員の理解を得るのはなかなか難しいかもしれません。想定していなかった多額の現金を突然求められ、経済的に困窮する人が出てくる可能性もあります。また、従業員がすでに退職している場合、そもそも連絡を取るのが難しいケースもありそうです。
2つ目の会社が負担するという方法は、従業員の負担をなくせる一方、金額によっては会社の財務に大きなダメージを与えるものです。本来従業員が負担すべき税金を会社が代わりに支払う場合、一般的にその支払いは従業員への追加的な給与とみなされ、グロスアップが必要になります。例えば、従業員のために1,000万円を負担しようとすると、その1,000万円にも税金がかかるため、実際には追加で数百万円の負担が生じるということです…。
宮田:「会社が肩代わり」とありますが、これも簡単なことではないですよね。
給与課税の対象となる額がそこまで大きくない場合、例えば信託型SOの発行%が比較的低い、会社の規模がそこまで大きくない、行使がそこまで進んでいないといった場合は、会社が肩代わりするという選択肢もとれるかもしれません。
一方で、給与課税の対象となる額が大きい場合、例えば信託型SOの発行%が比較的高い、会社の評価額が大きい、すでにほとんどのSOの行使が行われているといった場合は、会社が肩代わりするという選択肢は選びたくても選べない場合もあるかと思います。
会社にそのキャッシュを用意する余力があるかどうかの問題もありますし、タイミングが悪いことに現在はスタートアップ銘柄が以前と比較して株安のタイミングです。経営者としては肩代わりしてあげたいと思っていても、実際問題、原資の用意が難しいということも多いかなと思います。
もちろん、従業員だけが損をすることもよしとはできないので、この点については国に対して、納税に対する猶予期間の延長や延滞税の免除・減額を求めるなど、引き続きお願いしていく必要があると思います。
また、ほとんどの場合で、信託型SOを行使済み=上場済となると思います。行使済みの会社は、過去の決算にまで影響がでる可能性があるということでしょうか?
小林:今回の国税庁からの発表では、「従来から給与課税であった」という表現が繰り返しなされていましたから、そう理解すべきでしょう。
過去の決算に対するインパクトという点では、給与課税ということに紐づく源泉徴収義務のインパクトが大きいですね。
信託型SOのキャピタルゲインが大きく、かつそのボリュームも大きい場合、数億円規模(場合によってはもっと...?)のキャッシュアウトが新たに発生することになります。
仮に会社が負担する場合、過去の決算が大きく変わるほど(上場会社であれば場合によっては開示が必要になるほど)のインパクトが出る可能性もあります。
5/29の発表会でもSlido上で質問したのですが、信託型SOスキームは2016年から世に出始め、上場実績も毎年二桁社数ほど出ていました。その意味では、すでに東証・主幹事証券・監査法人等がこの制度について認識した上で、現在の譲渡益課税を前提とした税務・会計処理をしてきたということです。それが、「いや、実は課税の扱いが違っていて、大規模な修正が必要でした」というのであれば、投資家に対して正しい開示ができなかった、ということになってしまいます。
これは個社の問題にとどまらず、日本の新興市場に対する信頼低下にもつながりかねないと危惧しています。
宮田:ありがとうございます。
まさに上場株投資家から見た、日本市場への信頼低下は懸念される点ですね。会社が肩代わりすると判断し、下方修正や過去の決算のやり直しが立て続けに起きた場合に受ける市場全体の信頼低下を考えると、経過措置や、通例より長めの納付期限の設定、分割納付の回数を増やすなどの対応はぜひ検討してもらえるように関係各所に訴えていきたいです。
ここまで「行使済み」の上場企業に関する対策でした。
もっと詳しく解説したいのですが、上場会社の会計上の取り扱いは、我々も完璧に「こうです」とは言い切れない部分も多く、より具体的な対応は、各社が監査法人にも見解を求めて頂く必要がありそうです。
論点1-5: 信託型SOを税制適格SOとして「リサイクル」できる可能性(6/1追記)
野瀬:また、説明会のQ&Aにあった既存の信託型SOを税制適格SOとして付与できる余地についても、触れておきます。Q&Aでは、国税庁より「信託が受益者を指定した時点を「付与時」とみなし、また付与時に従業員の負担がなければ(税制適格要件を満たす)発行形態は「無償」である」旨回答がありました。
つまり、「既存の信託型SOの会計処理が変わらない」「新株価算定ルールが使える未上場のうちに受益者指定ができる」という条件付きではありますが、会計上多額の株式報酬費用の計上を避けながら、税務上も税制適格SOを維持できる可能性が残されていると解釈できます。税制適格SOの行使価額の要件である「契約締結時の時価以上」についても、未上場のうちは新株価算定ルールが適用できるため、ほとんどの会社で問題になることはないでしょう。
いずれにせよ、既存信託を取り消して”新たに”税制適格SOを発行する場合、または既存信託を”リサイクル”して税制適格SOとして付与する場合、のどちらのケースでも会計ルールが明確になるのを待つ必要がありそうです。
宮田:どういうことですか?難しすぎて理解が追いついていないです。
小林:国税庁からの説明会でのQ&A中で「既に設定済みの信託型SOを、税務上は税制適格SOとして利用できる」と述べられていた点ですね。(あくまで税務上の取り扱いのみで、会計上の扱いについては何かを示したものではない)
今回明言されたのは、税制適格SOか否かの判定は、信託組成時ではなく、役職員等に付与されるタイミングである(受益者指定時)、ということ。
いまの野瀬さんの話は、信託に入っているもともと有償SOだったSOを、従業員に付与するタイミングで税制適格要件を満たすように付与するということですね。
野瀬:そうです。言ってしまえば、信託型SOを税制適格SOとしてリサイクルするということです。
付与時に、下記の条件を満たしていれば、税制適格SOとみなしうるということになります。
- 行使価額 ≧ 付与されるタイミングでの新株価算定ルールで算出した株価
- ただし、費用計上を避けられる信託型SOの会計処理を引き継ぐには、行使価額は信託型SOのものを維持しなければいけない可能性(未確定)
- 無償で付与される
- 行使期間が税制適格要件を満たす
- 保管委託要件等、その他の税制適格要件をすべて満たす
付与するSOは信託されているSOであるものの、受益者指定時=付与時として税制適格SOとして新たに契約を巻き直すということです。契約では、2年の待ち時間のある行使期間、保管委託要件もろもろを含めることになります。
わかりやすさ重視の表現を使えば「リサイクル」と言ってもいいかもしれません。この記事の「論点1-1、1-2」で書かれていた税制適格への切り替え案は、「信託型SOを取り消して、新規で税制適格SOを発行する」ものなので、その点が大きな違いになります。
宮田:理解できてきました。
しかし、税制適格SOを新しく出しなおすほうが、シンプルにも感じるのですが、このリサイクルする案のメリットは何なのでしょうか?
小林:従来の税制適格SOと同様に、本源的価値ゼロ=費用計上ゼロ、という会計処理の可能性がありえるということでしょうか。
そうであれば、「論点1-1、1-2」の重たい費用計上が発生するかもしれないという会計上の懸念が解消できそうですね。
野瀬:その通りです。
ここはまさに会計士協会やASBJ(企業会計基準委員会)の見解を待つ必要があるのですが、行使価額が変わらないのであれば、同一のSOであるとして会計上の費用計上はゼロにできる可能性はある(そうしてほしい)と思っています。
ただし、前述の通り「新株価算定ルールが使える未上場のうちに受益者指定(付与)ができる」という条件付きになります。
新株価算定ルール(純資産ベース)は、未上場企業が対象です。上場企業がリサイクルしようとすると、多くのケースで「行使価額 < 株価」となり、税制適格要件を満たせない可能性が高いと思われます。
また、未上場企業すべてが使えるかというとそうではなく、信託型SOの信託契約において「未上場時でも付与できる」という内容になっている必要があります。これは個社の信託契約の問題です。
仮に、未上場時は付与できない設計になっていた場合、今から信託契約を変更できるのか?についても精査する必要があります。この点については、信託会社や導入アドバイザーから別途見解が出てくるかもしれません。
宮田:なるほど、ありがとうございます。有効な選択肢になりそうな一方で、現時点では不明瞭な点が多く判断が難しいですね。
費用計上のダメージを極力避けたいレイターステージのスタートアップ以外は、素直に信託型SOを取り消して、新株価算定ルールでの税制適格SOを発行しなおすのがベターかもしれませんね。
いずれにせよ、会計処理の扱いなどの情報が出揃うまでは、信託型SOの取り消しや、1円税制適格SOの発行は一旦待つ必要がありそうですね。
45%に達する人は意外と少ない?実際の負担額はどうなる?
宮田:ここまでは状況別の対応について記載してきましたが、実際に従業員に課される税額についても見ていきたいと思います。
課税される金額について、野瀬さん解説お願いできますか?
野瀬:以下は国税庁のHPで公開されている所得税の税率表です。所得税の税率は、5%から45%の7段階に区分されています。
出典: 所得税の税率|国税庁
例えばですが、その年の合計の所得が【1,000万の場合は17.6%】、【2,000万円なら26.0%】、【4,000万円なら33.0%】が実質的な税率となります(住民税は除く)。
4,000万円全額に45%が課税されるわけではないので、注意してください。所得は、信託型SOの課税対象となる額のほか、会社から支給された給与も合算して計算します。
宮田:ここは勘違いしやすいポイントですよね。
例えば、その年の所得が【5,000万円の場合でも35.4%】です。最高税率45%が適用されるのは4,000万円を超えた分、つまり5,000万円のうち1,000万円のみなので、実効税率は35.4%と思ったより低い税率になります。
これに約10%の住民税が課税されますが、「最大45%(住民税込で55%)」という言葉から受ける印象ほどは税額は高くならないと思います。
また、これから行使される方は、行使のタイミングをうまく調整することで税額をおさえることができそうですよね。
野瀬:はい、もし今後信託型SOの行使を行う場合、金額にもよりますが、単年で一気に行使するよりも複数年度に分けて行使した方が税金が抑えられる可能性があります。
国税庁の発表がスタートアップに与える影響
宮田:あらためて、今回の国税庁の発表がスタートアップに与える影響を整理したいと思います。
全てがスタートアップにとってマイナスの影響ということではなく、プラスの影響もあったかなと思います。お持ちのSOが行使前か行使済みによって当然感じ方は変わるでしょうが、Twitterを見ている限りでは、むしろプラスのほうが大きいという意見も散見されました。
まずはマイナスの影響はどうですか?
野瀬:やはり信託型SOを行使済みの従業員や会社が受けるインパクトが無視できません。従業員が負担するにしても会社が負担するにしても、想定外の現金が突然必要になるわけですよね。
まだ行使を行っていない人が(今後行使しなければ)給与課税を避けられる一方、何も知らずに行使してしまった人が救済されないというのも、正直納得感に欠けます。制度導入に一定の責任がある会社と違い、従業員は会社の制度に従って行使しただけですから。究極の後出しじゃんけんになってしまいました。
あと、昨日の説明会でも国税庁の担当者の方が仰っていましたが、時効についても言及しておきたいです。一般的な源泉所得税の時効は5年ですが、信託型SOは2017年頃から導入事例が増えているので、5年であればすでに時効が成立しているものもあるでしょう。時効によって課税される人・されない人が出てくることになりますね。
小林:今回の件で、「SOってやっぱりよくわからないし、不安だな」みたいなネガティブな印象がついてしまわないといいな、と思っています。信託型SOに関する今回の発表は、被付与者・発行体両方にとって多大な影響があったのは確かですが、「これまでなんとなくモヤモヤしていた、はっきりしなかった」点がクリアになったことで、今後の報酬設計という点での信頼性は大きく高まったと思っています。
また、繰り返しになるのですが、上場会社の開示の影響は気になっています。日本のシステムで明確にNGを出されていないまま開示もされていた中で、「実はやっぱり修正する必要がありました」というのは投資家からすると大きなクエスチョンがつく点だと思います。
宮田:ありがとうございます。
私としても、やはり信託型SO導入会社、特に「行使済み」の従業員や、会社への影響が気になっています。国税庁からの説明会とQ&Aだけで「はい、おわり」では、どうすることもできない状況の方々もいらっしゃると思います。経過措置などについては、引き続き関係各所へ働きかけに加えて、Nstockでも事業として何かできることがないか、検討していきたいと思っています。
小林:また、これは必ずしもマイナスとは言い切れないのですが、今回の財産評価通達に基づく純資産価額ベースの算定では、アーリーステージからレイターステージまで、非常に幅広く行使価額1円の税制適格SOが出せる可能性があります。
従来の税制適格SOでは、「早いステージで入社する(=それだけ大きなリスクをとる)人ほど、より大きなリターンを得る」という形になっていることが、アーリーステージの企業の魅力の一つでありました。これが、「いつ入社しても1円税制適格SOがもらえる」となれば、より上場確度が高い会社の方に人材が移ってしまう可能性があります。
初期に入った人への配分の傾斜度合いを大きくする、ベスティングや退職時の取り扱いの条件を工夫するなど、従来とは異なる設計思想が必要になってきそうです。
宮田:これは信託型SOでも言われていた点ですよね。
ただ、経営者視点では従業員に渡せるトータルのキャピタルゲインを最大化させたいんですよね。これは採用で使える武器という面でもそうですし、メルカリの山田進太郎さんがおっしゃっていた「成功の果実をみんなで分け合いたい」という表現にもあるように、社員にもちゃんとキャピタルゲインを得て喜んで欲しいという両方の理由があります。
フェアさという観点では、配り方に配慮することで解消できると思っています。例えば、税制適格SOを「1. 初期メンバーに配るリスクテイクへの報奨用のプール」「2. CxOなどキーマンを獲得するためのプール」「3. 社員にフェアに配布するためのプール」という感じで予めプールを分けておけば、適切に配布できるように感じます。
「3. 社員にフェアに配布するためのプール」は評価制度と連動させ、半期ごとに評価結果に応じて配布することで、「在籍期間が長い人 × 評価が高い人」が仕組みとして報われやすくなります。
「何も考えずに同じ数だけ配っていればフェア」より難易度が上がることは確かですが、社員に渡せるトータルのキャピタルゲインを最大化することのほうが重要だと、個人的には感じています。ですので、今回の税制適格の新株価算定ルールは、スタートアップ業界にとって非常にポジティブなものとしてとらえています。保管委託要件の撤廃など、他のルール変更が進むことで、更に使いやすさも増していくと思われます。
小林:そうなると、起業の株式報酬設計力がよりダイレクトに採用力、ひいては競争力そのものに効いてきそうですね。
最後に、これはまだはっきりしない段階ではあるのですが、税務上の扱いが今回クリアになった一方で、会計上の扱いがどうなるのか見えていないという点は、留意すべきです。
税務上は増資やセカンダリー価額の影響とは独立してセーフハーバー価額を非常に低くおさえらえる一方、会計上は増資等の価額を参照して本源的価値を算出するとなれば、多額の株式報酬費用が計上されることになり、PL上大きな赤字が発生してしまいます。
この会計処理については上場以降も影響が出るレベルのインパクトがあるものですので、パブコメを通じて明確に確認したいポイントです。
宮田:ありがとうございます。
続いて、プラスの面ではいかがでしょうか?
小林:何度も話題に出てきていますが、税務に関して普通株式の価額算定自体がクリアになったことは非常に大きいです。
さらに、今回国税庁が提示した財産評価基本通達による算定に基づけば、多くの会社でストックオプションの行使価額を大きく抑えることができ、発行による経済的メリットが大きくなります。
端的に言って、税制適格SOの使い勝手は一気によくなったといって間違いはありません。
5/29の国税庁・経産省からの説明会で、経産省の方が「スタートアップこそ、課題解決と経済成長を担うキープレイヤーである」と述べられ、さらに成長のための人材獲得の一番のキーとなるのがストックオプションであるとし、その使い勝手をよくするべく、このところ様々な施策を矢継ぎ早に打ち出されていますが、今回の件はその中でも特にインパクトが大きいものだったと思います。
野瀬:プラスの話の前に、正直個人的に今回の国税庁の発表にはとてもショックを受けました。7年以上もスタートアップの現場で活用されてきた制度が、ある日突然使えなくなるというのは想定できなかったし、これまで国税庁がこのスキームや現場での税務処理を一切知らなかったというのも考えにくい(と個人的には思っています)。
2016年に前職のメルカリで信託型SOの導入を検討したことがあるのですが、当時は事例の少なさや監査リスクなんかもあってナシになりました。でもそのあと、税制適格SOの使いにくさを痛感したり、より税務メリットのある信託型SOが広く普及するのを見て「信託型SOを提案すべきだったのかも」と振り返ったこともあります。それくらい、スタートアップフレンドリーな作り込みがされたスキームでした。
給与課税という結論になってしまったことは非常に残念だと感じる一方、あえてプラス面を挙げるとすれば、今回発表された新株価算定ルールをはじめとして、今後税制適格SOの使い勝手が思ったより早いペースで良くなっていきそうだという期待が持てたことです。
日本の税制適格SOが世界で一番スタートアップフレンドリーなものに発展していけば、信託型SOの代替として機能することは十分に可能だと思っています。特に保管委託要件の撤廃や社外人材への付与要件の緩和については、早期の実現を期待しています。
小林:また、これもプラスの話かどうか悩ましいですが、未上場での株式報酬の使い勝手が一気に向上することで、「上場することのデメリット」が(特に採用面で)非常に大きくなってしまうように感じました。
未上場は、かなりレイターのステージでも新株式算定ルールに基づいて行使価額1円の税制適格SOが出せる一方、上場して「取引相場のある株式」になると純資産価額方式が使えず、著しく行使価額が上がることになります。
「RS /RSU」を使えば良い、ということかと思いますが、フルバリューかつアップサイドも大いに期待できるという”1円税制適格SO”に比べると、使い勝手からインパクトまで圧倒的に後者の方が有利です。
上場後の人材獲得に悩む、という点では引き続き日本のスタートアップ育成の課題にはなりますね……。
野瀬:そうですね。税制適格SOの大きなメリット(新株価算定ルール)が上場会社は使えないというのは、スタートアップの継続的な成長という観点では改善を求めたい点です。
例えばですが、上場会社が活用するRSやRSUについても、一定の金額までは税制適格SOと同じような税的メリット(課税の繰り延べや優遇税率)が受けられるような制度になれば、さらにスタートアップ全体が盛り上がりそうですよね。上場後はどういうインセンティブ制度に切り替えたらいいですか?という相談はとても多いのですが、現状税的メリットが受けられる制度がほとんどないんです。優秀な人材を確保したいニーズは、未上場も上場も関係なく、むしろ上場後の方がグローバル展開等で厳しい競争環境に晒されるとも言えるでしょう。
昨今の日本の株式報酬の制度改革は、米国をベンチマークに行われている印象があります。RS/RSUについても、「米国に追いつく」ではなく「米国を追い越す」ような大胆な改革を期待したいところです。
宮田:今回の税制適格SOは、まさに米国を追い越すような大胆なルール変更になりそうですよね。
小林さんが言っていた「上場することのデメリットが大きくなった」についてですが、未上場のレイターステージで粘ることのインセンティブが増えたとも言えるなと思います。今年の4月に施行された「税制適格SOの期限が10年から15年に延長」もそうですが、今回の新株価算定ルールでそれがより一層強まりました。様々な理由から小粒上場せざるを得ない状況を解消し、より大きく成長することを目指しやすくする設計にも思えます。もちろん、これはとても重要で喜ばしいことです。
一方、上場後のインセンティブとして日本のRSやRSUが使いづらい点は、今回の件でより際立って来ました。税制適格SOをとりまく課題が解消された際には、次の大きなテーマになっていきそうですね。こちらも早急に進むことを期待したいです。
ここまで、今回の影響をまとめるつもりで話をしてきましたが、単純にプラスやマイナスでは整理しきれない内容や、現時点ではどう転ぶかわからない点が多くあります。Nstockでは少しでも良い方向にスタートアップ業界が進めるよう、継続的に情報を発信していきたいと思います。
最後に
宮田:最後に、一言ずつコメントをいただけますでしょうか?
小林: 今回の件で、従業員の方は信託型SOを導入した経営者や担当者を責めないでくれたら、と思います。
2017年ごろから有名スタートアップでの導入事例や、信託型SOを導入している会社が新規IPOした事例も多く出始めました。上場会社での導入実績も少なくない。当時から賛否もありましたが、専門家の意見をふまえつつ、従業員へのリターンが最大化することを願って導入しているはずです。
加えて、経営者は、信託型SO導入時に数十万〜数百万円という、初期の創業者にとって決して少なくない金額を、自身の身銭を切って支払っています。運良く会社としては税制適格SOに切り替えられたとしても、この経営者負担分は戻ってきません。今だって、多くの経営者が「どう対応しようか」と頭を悩ませているはずです。
野瀬:小林さんの意見に同感です。私がもし経営者だったら、信託型SOを導入したスタートアップが毎年のように上場しているのを見て、同じように導入にGoを出したかもしれません。従業員からすると、「なんでうちのCEOやCFOはこんなリスクの高い制度を導入したんだ」と攻めたくなる気持ちも一定理解できますが、名だたる導入企業が東証・主幹事・監査法人の厳しいチェックを経て上場している事例がたくさんあるわけで…。自社は導入しない、という判断を下すのも採用競争力やリテンションの観点で難しかったのではと思います。
米国に比べると日本はまだまだ株式報酬の後進国で、大胆な改革や挑戦が求められているはずです。今回の件で日本の株式報酬の発展が止まったり、スタートアップやストックオプションが敬遠されることがないよう願っています。
宮田:野瀬さんと重複しますが、日本は株式報酬の後進国です。先日フィデリティが実施した「世界で最も悲観的な国」調査において日本の総合ランキングは上昇したそうですが、株式報酬の活用に関しては引き続き最下位だったそうです。
今回の国税庁からの発表で「税制適格SO」「有償SO」については大きな躍進がありました。しかし、「信託型SO」についてのネガティブなニュースに引きづられて、ほかのSO制度にもネガティブな印象が出ないよう、信託型SOの対応に必要な情報は発信しつつ、他SO制度のポジティブな側面も発信していければと思います。
また、繰り返しになりますが、私自身、SmartHR社では信託型SOの導入を決定した立場です。未行使ではありますが、イレギュラーな点も多く、スムーズに対応できるか不明な論点が多くあります。現時点では、従業員が想定していたキャピタルゲインに影響がないとも言い切れませんし、社内で本件の対応に追われているメンバーにも申し訳なく思います。本日以降、従業員への説明や対応も引き続き行っていきます。
また、信託型SOの導入企業として、若手起業家の相談にのったり、イベントやインタビュー記事で信託型SOをおすすめするスタンスをとって発言してきました。その責任も感じています。
幸いにも、私は Nstock という株式報酬をテーマに扱う会社を経営しています。関係各所への働きかけや情報発信を通して、今回の件がスタートアップの未来に与える悪い影響を最小化できるように活動していくほか、Nstock 事業としてもなにかできることはないか、引き続き対応にあたっていきたいと思います。
早速ではありますが、6月15日(木)に本件を解説するイベントを実施します。参加は無料です。Nstock からは本記事に登場した3名が登壇します。
5/29の説明会の配信を見ても「よくわからなかった」という方向けの内容になります。(配信でおおよそ理解できたという方は、せっかくいらして頂いても時間の無駄になってしまうかもしれません。)
また、SmartHRのCFO、法務責任者にも登壇してもらい、「SmartHR社は現段階ではどう対応しようとしてるのか?」についても解説します。
記事末に申し込みフォームのURLを記載してますので、ご都合がある方はよければご参加ください。なお、実際に信託型SOを発行しているスタートアップを優先したうえで、席数が不足する場合は抽選制とさせて頂きます。
お知らせ
今回の発表を踏まえ、「【信託型SO】スタートアップ経営陣が社員に説明できるレベルまで噛み砕いて解説するイベント by Nstock」を開催いたします。
繰り返しになりますが、5/29の説明会の配信を見ても「よくわからなかった」という方向けの内容になります。(配信でおおよそ理解できたという方は、せっかくいらして頂いても時間の無駄になってしまうかもしれません。)
皆さまからの疑問や質問へ回答するQ&Aコーナーも設ける予定です。なるべくわかりやすい言葉で回答できるようにしますが、事前のこの記事を改めてご一読いただけますと幸いです。
また、実際に信託型SOを発行しているスタートアップを優先したうえで、席数が不足する場合は抽選制とさせて頂きます。ぜひ詳細をご確認いただきエントリーしてもらえると嬉しいです。
社員の皆さんに対しても、今回の信託型SOにまつわる影響や対応策を噛み砕いて説明できるように準備をしましょう。
<詳細>
日程:2023年6月15日(木)
時間:17:30開場 / 18:00開始 / 19:30終了
場所:東京都中央区のイベントスペースを予定(※抽選メールにてご案内します)
登壇者:
- Nstock CEO 宮田 昇始
- Nstock ドメインエキスパート 野瀬 梓紗
- Nstock アドバイザー/シニフィアン 共同代表 小林 賢治
- SmartHR CFO 玉木 諒
- SmartHR 法務責任者 小嶋陽太
エントリー方法:以下のフォームよりエントリーをお願いします。抽選制のため、ご参加いただける会社様には登録メールアドレス宛に随時ご連絡いたします。
https://forms.gle/TstmdraeX3M3kD8h9
なお、本イベントへの問い合わせは広報担当宛(pr@nstock.co.jp)にご連絡いただくか、公式TwitterのDMよりメッセージをお送りください。2~3営業日以内に回答いたします。