弁護士としてのキャリアを積む傍らでスタートアップ企業へ就職し、さらにはアメリカ留学を経て、2022年11月に経済産業省に入省した南知果さん。
留学時、「日本がスタートアップ政策への力を入れる」というニュースを見たことがきっかけとなり、経済産業省へ入省。一見すると異色のキャリアでありながら、自身のこれまで得てきた知見とキャリアを活かして活躍されています。
そんな南さんに、これまでのキャリアを振り返りつつ、政府が掲げる政策とスタートアップ企業の関わり方などについて伺いました。
南 知果 経済産業省大臣官房スタートアップ創出推進室総括企画調整官
2014年司法試験合格。2016年西村あさひ法律事務所入所。2018年法律事務所ZeLo参画。弁護士としての主な取扱分野は、スタートアップ支援、M&A、ファイナンス、Fintechなど。一般社団法人Public Meets Innovation 理事。著書に『ルールメイキングの戦略と実務』(商事法務、2021年)など。アメリカ留学(ペンシルベニア大学ロースクール、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員)を経て、2022年11月より現職。
サービスに携わりたい思いから、正社員としてスタートアップへ入社
宮田:さっそくですが、まずはじめに南さんの自己紹介をお願いします。
南:一番最初のキャリアは、西村あさひ法律事務所に入所し、M&Aや大企業のコーポレート、不祥事調査などを担当していました。
2018年に、先輩が作った事務所である法律事務所ZeLoに移籍しました。設立当初はまだお客様も多くないタイミングで、そのときに株式会社メルカリのお手伝いなども行っていました。
ZeLoは、株式会社LegalForce(現・株式会社LegalOn Technologies)というスタートアップと共同創業されているのですが、当時は創業直後で法律事務所と会社という壁はなく、隣でLegalForceのエンジニアさんが契約書レビューのプロダクト開発をしているといった環境でした。
その中で、エンジニアさんと「どういうサービスがあったら良いか」という話をしたり、AIを用いて契約書レビューを行うときにどういったサジェスチョンが必要か検討するなど、サービス自体に関わることもありました。
宮田:法律事務所ZeLo所属の弁護士としてメルカリさんに関わられていたのですね。お知り合いも多いので、てっきりメルカリさんに正社員として所属されていたのだと思っていました(笑)。いつの時期にお手伝いされていたのですか?
南:よく言われます(笑)。2018年の6月から2021年6月あたりまでです。当時のメルカリは上場したてで、後に株式会社メルペイとなるFinTechの会社を作るタイミングでした。当時は「ユニコーン企業が上場して新たなFinTechのサービスを始める」と話題になっていましたね。一方社内では、金融サービスを始めるにあたってさまざまな規制について、理解の深い弁護士が必要でした。そこで、たまたまご縁があってお手伝いし始めることになったんです。
宮田:メルカリさん以外に、関わられていたスタートアップはありますか?
南:さまざまなスタートアップのクライアントがいましたね。株式会社Azitに正社員として働いていた時期もあります。
宮田:法律事務所に在籍しながら、正社員として入社されたんですか?
南:そうなんです。ZeLoに引き続き在籍はしていましたが、Azitで正社員としてフルコミットで働いていました。
宮田:メルカリの時は弁護士として外部からお手伝いされていて、Azitでは正社員としてフルコミットされたというのは、なにか心境の変化があったのですか?
南:メルカリのお手伝いをしている時、メルペイのローンチを見たことが大きいです。会社全員がサービスのローンチに対して命をかけて取り組んでいて、そこに心を揺さぶられました。
南:弁護士は立場として外部の人間なので、外部から手伝うよりも中から自分のサービスとして取り組みたいという思いがあり、Azitでは正社員という形でコミットしました。
宮田:7年前、AzitとSmartHRはオフィスが同じマンションにあったので、縁を感じます。その後、退職し留学されたんですよね?
南:退職の時期がちょうど30歳だったのですが、振り返るとそれまではがむしゃらに走ってきて仕事しかしていませんでした。そこでふと、昔「留学したい」と思っていたのに諦めたことを思い出したんです。
「日本を離れ、海外から日本のスタートアップの状況を見てみたい」という思いもあり、タイミング的にも今しか無いと思い立って、その年に留学しました。ペンシルベニア大学のロースクールに留学したのですが、そこでアメリカの会社法やダイバーシティ、ジェンダー問題、AIやテクノロジーと倫理のような話を主に勉強していました。
宮田:LegalForceにも通ずると思うのですが、南さんはAIに関するテーマがお好きなのでしょうか?
南:好きですね! LegalForceが世の中に出たタイミングは、まだリーガルテックもDXも流行っていませんでした。もともと法律業界は非効率な部分があり、テクノロジーの力でもっと効率化できるのでは、というのがLegalForceの出発点で、そこに共感していました。そのテクノロジーのひとつとしてAIに関心を持っていましたね。
スタートアップの環境を変えるには、国を中から変えるしかない
宮田:留学から帰国されてからのこともお伺いしても良いですか?
南:日本に帰ってきたのが2022年の10月で、11月から経済産業省に入省しました。アメリカにいる間、日本に戻ってからどうしようと考えていて、ダイバーシティやジェンダーにも関心があるので、そういった領域の仕事ができればと思っていました。せっかく海外から帰国するならグローバルな仕事にもトライしたいな……とか、色々と考えていましたね。
そのころ、ちょうど経済産業省のスタートアップ創出推進室の管理職ポストが公募に出ていて、日本のなかでスタートアップが重要なアジェンダになってきていると感じました。そして、アメリカでさまざまなものに触れる中で感じた問題意識などを政策として実現したいという思いが強くなりました。
政治や行政に対し、外から働きかける方法もありますが、やはり中に入ることで100%自分の力を政策に投入できると考えたら、「これがやりたいことなのかも」と思い応募しました。
宮田:アメリカで留学されている間も、スタートアップに関してアンテナを張っていたのですか?
南:アメリカのロースクールで学生として改めて法律を勉強したりトラディショナルな弁護士のキャリアに触れて、やっぱり自分はスタートアップが好きだなと感じていました。
宮田:それは、日本でスタートアップに関わった仕事がおもしろかった、というのも影響したのでしょうか。
南:そうですね。あとは、留学していたフィラデルフィアはライフサイエンスが強く、ディープテック系スタートアップが多いので、私が日本にいたときに関わったIT系スタートアップとは毛色が異なり、刺激になりました。
宮田:研究が軸にある感じですよね。
南:はい。Ph.Dや医師の方がスタートアップの話をされていて、世界の広がりを感じました。
宮田:ちなみに、経済産業省の管理職ポストの公募は、留学中どのようにして知ったのでしょうか?
南:経済産業省の方がTwitterに投稿していたのを見たのが最初だったと思います。
宮田:Twitterなんですね!そこから応募まではどのようなことをしましたか?
南:官庁で働く友人たちにいろいろと相談しました。弁護士としての公募ではないため、役所の管理職として私がマッチするかどうかなどを確認しました。霞が関で働くことに不安もありましたが、こういった機会もそうないだろうと思って応募してみました。すると選考が進み、オファーをいただけました。ただ、実際にオファーを承諾するときは少し悩みました。
宮田:悩まれた中で、決め手となったできごとはありましたか?
南:私が辞退したとして、私以外の全然スタートアップのことを知らない方がその職を担当することになったら嫌だな、と正直なところ思いました。スタートアップとの関わりや熱量が高い私が政策に取り組んだほうが絶対にいい、と思えたのが大きいです。
経産省への入省で知る「役人の頭の中」
宮田:経済産業省に入られて、最初にどういったことに取り組まれたのでしょうか?
南:新機軸部会という会議で、スタートアップ・イノベーションに関するテーマで議論する機会があり、その資料作りなどを行いました。
宮田:新機軸部会というのはどういった場なのですか?
南:経済産業省が産業政策を打ち出す場です。
役人の頭の中には「税」「予算」「法律」という3つのツールがあります。例えばスタートアップの課題を聞いたときに、その3つのツールのどれかを用いて課題を解決する政策に落とし込む、という考え方なのです。
宮田:なるほど、「税」「予算」「法律」の組み合わせで政策を考えるというのは興味深いですね。具体的にはどのように考えていくのでしょうか?
南:例えば「スタートアップのEXIT手段として、IPOだけでなくM&Aを増やさなければならない」という課題に対し、ネックになるのが「大企業のマインドや意思決定のハードル」だったりします。
そこで、「意思決定を促すために、オープンイノベーション促進税制を使って大企業側を変える」といった政策案を考えます。そして、オープンイノベーション促進税制はどういうケースで使えるようにするのがよいか……といった流れで具体的な政策を考えていくのです。
宮田:4月1日から施行されたM&Aの税制優遇もその一環なのですね。
南:そうです。そういうなかで、例えば「起業風土の醸成」のようなテーマは、政策としての出口が見えにくく、話を進めるのが難しかったりします。とはいえ、日本でももっと起業が増えたり、スタートアップをおもしろいと感じて、就職や転職したりする機会が増えることも大事だと思っています。
スタートアップの地位向上に対して、国としてできることはもっとあるんじゃないかと色々と考えているところです。
宮田:実際にスタートアップ側としても変化を感じています。M&Aの税制優遇もそうですし、税制適格ストックオプションの期限が10年から15年に延長されたり、銀行からの借入れ時の代表者の個人保証(連帯保証人)を外そうという流れができたり、スタートアップ育成5か年計画のパワーを強く感じています。
スタートアップ育成5か年計画、当事者意識を持って取り組みたい
宮田:スタートアップ育成5か年計画について、南さんが関わるようになった背景についても伺いたいです。
南:スタートアップ育成5か年計画は、2022年初頭に岸田首相が「スタートアップ創出元年」と銘打って検討が始まり、11月末に発表となりました。私が入省したタイミングは、一生懸命最終調整をしている状況でした。
宮田:そこからどのように関わっていくことになったのでしょうか?
南:11月に発表しましたが、政策テーマの中には、出口が見えているものもあれば、これから道筋を立てていかなければならないものもあり、いくつかのテーマについて、その出口を考える役割として関わっています。特に見ている領域は、ストックオプションに関する項目やエコシステム全体をグローバル環境に揃える、といったテーマです。スタートアップ政策に関する広報も担当しています。
宮田:関わるテーマはご自身で選べるのですか?
南:省庁ごとに担当が決まっているものも多く、経済産業省が担当するものもあれば、他の省庁が担当するものもあります。
宮田:テーマによって担当省庁の割り振りが決まっているのですね。
南:そうですね。起業家教育であれば文部科学省、金融法制に関わることは金融庁、のような感じです。
宮田:南さんが所属されている課では、ストックオプションやグローバル環境といったテーマの他に何を担当しているのですか?
南:エンジェル税制やオープンイノベーション、海外投資家の呼び込みなどです。J-Startupや、若い起業家を海外に派遣するといった政策もあります。
宮田:実際にスタートアップ育成5か年計画が進みはじめ、想定より大変だと思ったことはありましたか?
南:関係者との利害調整が特に大変だと思います。たとえば税であれば、全体のなかでバランスを取ることが求められるため、「スタートアップを盛り上げるべき」という一本足では進められないんです。
「国としてなぜスタートアップを優遇しないといけないのか」と問われますし、関係者によってはその他にもより重要な社会課題があると考える方もいるため、さまざまな人の力を借りて意義があることを説得できないと進められない、というのは実感しています。
とはいえ、今はスタートアップ政策の風が吹いているときだと思うので、一気に変えていけるよう、当事者意識を持って取り組みたいです。
経済低迷のなか、スタートアップへの期待が上昇
宮田:関係者調整の難しさのお話がありましたが、その一方で取り組みやすいことは何かありますか?
南:国は常に新しい政策テーマを探しているので、スタートアップの方からどんどん持ち込んでいただけたらと思いますね。
宮田:お話を伺っていてふと気になったのですが、スタートアップ育成5か年計画を担当する方々は、どれくらいの熱量を持っているのでしょうか?
南:まさに私のような担当者は当然それのことばかり考えていますが、他の課や担当外の方からも「スタートアップの状況はどうですか?」と聞かれるくらい、いまは優先度が上がっている状況です。
宮田:スタートアップ政策に意義を感じているのは、どういった理由があるのでしょうか。
南:これまで政策課題や社会課題に対して打ち手を見つけるのが難しかった領域において、「スタートアップが救世主になるかもしれない」という期待を持たれています。
また、海外ではスタートアップが経済を牽引している事実があるため、日本でもそれを実現できないかという期待はあると思います。
宮田:今後、南さん自身が関わっていきたい政策テーマなどはありますか?
南:スタートアップ政策では、このチャンスを逃したくないと思っています。
20年くらいスタートアップの支援をしている弁護士の先生が「(税制適格ストックオプションにおける)保管委託要件に関して、10年くらい課題として伝えているが変わっていない」とおっしゃっていました。でも、それも今変えられるかもしれません。今までずっと変わってこなかったことも、温度感が高まっているいまがチャンスなので、絶対にやりきりたいと思っています。
宮田:スタートアップ側でも、「いまチャンスだからこの火を消さないように」と頑張って働きかけようという風潮がありますね。
南:スタートアップ育成5か年計画もできて終わりではなく、中身をアップデートしますし、国の政策の重要なアジェンダとしてスタートアップが入り続けるということが大切です。「この政策に関心を持って何かやらなければ」と言い続けるのは非常に労力の掛かることです。なので、民間企業など「外」からの声というのは非常に大事だと思います。
ディープテック領域が増える肝は、人材のマッチング
宮田:南さんが最近一番おもしろいと思っているスタートアップ領域はありますか?
南:ディープテック領域ですね。ITではない世界の人たちを、どこまでスタートアップの世界に引き込むかというのは関心があります。研究者にとって、ビジネスってあまり関心事にならないこともありますよね。儲かることよりも、探求を重視しがちです。
そういった人たちがビジネスに関われる環境になれば、スタートアップにとってのダイバーシティにもつながりますし、「日本発の技術を世界に」という可能性も広がります。そこに私自身がまだ関わったことがなかったのでおもしろそうだなと思います。
宮田:研究者にビジネスに関心を持ってもらうような、具体的な取り組みなどはあるんでしょうか?
南:海外では、経営人材とのマッチングなどの実例はあります。MBAの学生とPh.Dが出会う場など、スタートアップのテーマを探している人と技術を持っている研究者が出会える場が日本よりは多くある気がします。
日本でディープテックを増やしていくにあたって、そこのマッチングは肝になりそうです。経営に関心のある人材は結構いると聞くこともあり、そういう方と大学の技術がマッチすれば良いと思います。
VCの方も、結構論文を読まれるんですよね。論文をもとに投資すべき技術を決めているみたいです。既存のITスタートアップとは異なる世界なので、そういった人材がもっと必要ですね。
スタートアップと行政の距離を縮めるため、国の動きをオープンに
宮田:最後に、南さんご自身が考える今後の展望などはありますか?
南:スタートアップと行政は、いまはまだ距離があると思うんですよね。スタートアップ側から見ると、自社ビジネスと行政は直結しないように見えている。そこの距離を縮めたいなと思っています。
宮田:スタートアップ側は、自分たちが動いたとしてどうメリットがあるか理解していないケースも多いかもしれないです。それゆえに、そこに時間を投資できないのかも。なにかを相談する窓口を探すにも時間がかかるし、担当者にプレゼンする機会を得ても刺さらなかったりとか……。
それなりに大きい会社なら働きかけも検討できますが、創業期のスタートアップはなかなか動きにくいかもしれません。そういった方々はどう働きかけたらいいのでしょうか?
南:国側の努力不足な部分もたくさんあると思います。どの省庁で何を検討しているのか、外からみたらわかりにくいですよね。そこをオープンにしていく必要があると思います。
スタートアップの方は、国から出ている資料など、少しだけアンテナを立てて見ていただけるといいのかなと思います。ご自身のビジネスに関わるものだけでも良いと思います。
あとは、なにか制度面で困ったことがあれば、行政に直接問い合わせてみてもいいですし、そういった選択肢を持っておくのが良いと思います。
宮田:過去を振り返ってみると、SmartHR社もまだ2人体制だったころに、総務省の方に呼んでいただいたことがあります。
当時総務省から公開された電子申請のAPIについて、「どうやったら使いやすくなりますか?」と、たった2名で運営している会社がヒアリングを受けたんです。きっかけは共同創業者の内藤が当時、e-GovについてたくさんTweetしていたことでした。関係者の方が「e-Gov API」といったワードでエゴサーチをしていたようで、たまたま見かけて連絡をくれたみたいです。
南:すごい! 省庁の各担当者は、特に自分の関わっている政策に関して、SNSでの反応を結構見ていると思いますね。SNSは国との接点ができるきっかけにもなりえますし、発信はとても重要だと思います。
宮田:今日のお話から、国のスタートアップに対する関心の高さを感じられましたし、南さんのご経歴もユニークでありながら筋の通ったキャリアを歩まれていて、とても興味深かったです。本日はありがとうございました!
(撮影:岡戸 雅樹)