上場企業でも導入企業数が増えている株式報酬。ストックオプションに限れば、東証グロース市場に上場する企業の実に90%以上(当社調べ)が導入しています。
もちろん、未上場スタートアップでも多くの企業が、初期メンバーに対するリスクの報償や、採用市場で競争力を高めるためにストックオプションを活用しています。
とはいえ、会計、法律、税務、人事制度設計などそれぞれで高度な専門性が必要なため、ストックオプションの発行には思わぬ落とし穴があります。
相談できる人がおらず、見切り発車でストックオプションを発行し、導入に失敗した経験がある匿名希望の経営者さんに、ストックオプションのしくじりエピソードを根掘り葉掘り聞きました。これからストックオプションの導入を考える経営者は必見です。
※ 一部の内容を加工して、特定できないように配慮しています。
これまでに5回、ストックオプションを発行
宮田:まず、どんなスタートアップを経営されているのか聞かせてください。
匿名希望さん:事業はサービスECのマーケットプレイスです。会社の立ち上げは201x年ですが……。1度ピボット(事業転換)して当時のメンバーの大半が退職。もう一度組織と事業作りを行い、現在は20人弱の組織になりました。
宮田:これまでストックオプションを何回、どの程度発行してきたのでしょうか?
匿名希望さん:合計5回発行しています。創業初期のシードが終わってからと、ピボットした際など節目で発行しました。共同創業者とも「リスクを取ってくれた方に積極的に発行していきたいよね」と話しており、CTOや執行役員などのメンバーに渡してきました。
宮田:お話しづらいと思いますが……。具体的にどのような点で失敗したのでしょうか?
税制“非”適格なストックオプションで価値が半減
匿名希望さん:まず、「税制適格ストックオプション」を発行する予定だったのですが、不手際によって「税制“非”適格」なストックオプションになってしまいました。
その後、勉強して知ったのですが、これは社員にとってかなり不利な条件でした。
税制適格ストックオプションの税率は約20%で、権利行使して取得した株式を売却する際に1度かかるのみです。
一方で税制“非”適格ストックオプションは、権利行使時と株式売却時に2度課税されます。
しかも、権利行使しただけでは、まだ株式を売却前で現金を手にしていませんが、行使時の株価と行使価格の差が給与所得として課税されます。キャピタルゲインがまだ手元に入って来ていないのに、多額の税金が先に発生してしまうことになります。
給与所得に対する税率は最大で45%で、住民税が10%ですから、最大で合計55%も税がかかってしまうのです。
宮田:税制非適格ストックオプションになると税金面では大きく不利になってしまいますよね。所得税なので累進課税になりますし、金額は株価や付与数に応じて変わりますが数千万〜数億円単位になるケースもありますよね。
匿名希望さん:ストックオプション自体の意味が全くなくなってしまったわけではないですが……。税制非適格になってしまったが故にキャピタルゲインの半分以上を税金を納めなければいけなくなってしまいました。まさに、場合によっては数千万にもなります。そのためストックオプションとしての旨味がかなり減ってしまいました。
また、ストックオプションを権利行使した時点で税金を納めなければいけないために、行使してすぐ株式を売却しなければならないという制約も生まれてしまいました。会社の将来を信じて、長期的に株を保有したいと思っていても、行使して株に変える時点で株を売らなければならないのです。
「株価算定」を行わずに、自己判断で1株1円に
宮田:税制適格ストックオプションにするためは、何が必要だったのでしょうか?
匿名希望さん:発行前に「専門家に会社の時価をしっかり算定してもらうべき」でした。それを怠り、ストックオプション発行当時の株価を、1株1円としてしまい、税制適格にならなかったのです。
本来は、決算書や申告書、事業計画から売上や利益、収益構造などを算定して株価を算定する必要がありました。しかし、当時はピボット(事業転換)の真っただ中で、会社の価値はほぼないだろうと考えて自己判断で1円に……。
実際の価値よりも安く行使価格を設定してしまったので、税制適格の要件を満たせなくなってしまいました。
宮田:株主であるVCや、顧問弁護士、顧問税理士からはアドバイスはなかったのですか?
匿名希望さん:ストックオプションの契約書で相談していた顧問弁護士事務所からも「株価の算定はしたほうがいいですよ」とコメントを頂いていました。ただ、算定の費用は数百万円と高額でした。
キャッシュに余裕がない状況で、ほかにも優先度の高い事業施策にお金を使いたかったので、算定費用を工面できず「算定は必須ではないだろう」とたかをくくって判断したのが大きな過ちでした。
宮田:ちなみに、この問題はどのように対処されたのでしょうか?
匿名希望さん:改めて税制適格のストックオプションを発行し直して、以前のモノは破棄してもらい新しいストックオプションを配布しました。
当然、行使価格は上がってしまうのですが「税制非適格の税金を考慮すると条件はそこまで悪くはならないよ」という説明をしています。
ただ、会社全体として社員に渡せるキャピタルゲインが大きく減ってしまうので痛い失敗でした。
特定の社員に5%近く付与してしまった
宮田:株価算定以外での失敗はありましたか?
匿名希望さん:配布のルールやメンバーが離職したときの扱いをきちんと決めていなかったがために、なし崩し的に「この人は採用でも重要だから」と発行し、バランスが悪くなってしまいました。とあるメンバーには5%近くも渡してしまいました。
宮田:1人に5%はすごいですね!どうしてそこまで多く付与されたのでしょうか?
匿名希望さん:採用時に、前職からかなり年収を下げて入社いただいたことが一番の理由です。また、その方がリファラル採用で連れてくるメンバーに、アトラクト目的で5%の中から譲渡して渡せるようにするためです。
宮田:なるほど……! 現行法では「譲渡制限(譲渡禁止)」がストックオプションを税制適格にする為に必要な条件なので、そもそも意図されていたことを税制適格で実現するのは難しそうですね。
匿名希望さん:そうなんです……。
宮田:ちなみに、ストックオプションの発行上限が10%であることが一般的ですが、御社では何%が上限だったのでしょうか?
匿名希望さん:実は、VCとは特に発行上限の比率決めてはいなかったので、柔軟には対応ができていました。
宮田:VCとの投資契約書の中で、ストックオプションの発行上限が決まっていないことがあり得るんですか……?
匿名希望さん:実は投資契約にはJ-KISSを使用していて、J-KISSの書面ではストックオプションの発行上限が記載されていないんです。J-KISSの転換価額の計算において、ストックオプションは完全希釈化株式数に含まれる(=ストックオプションをいくら出しても投資家の持ち分は変わらない)ので、上限を縛る必要がないそうなんです。
宮田:へ〜! それは知らなかったです。
ストックオプションは相談しにくい……
宮田:振り返ってみて、ストックオプションを発行するにあたって「こうしておけばよかった……」という点はありますか?
匿名希望さん:とにかく相談できる人がいなかったのはネックでした。仲のいい経営者仲間も同じ初期フェーズの起業家が多く、VCにも「実際にストックオプションを発行した経験がある人」はいませんでしたから、誰に相談して良いかも分からなかった。
インターネットで検索しても「詳しくはお問い合わせください」といった曖昧な情報しか出てきません。会計士 磯崎哲也さんによる『起業のファイナンス』(日本実業出版社刊)のストックオプション版のような「これを読んでおけば大丈夫」という教科書になる書籍もありません。
宮田:ストックオプションは会計も法律も財務も人事制度も関係しますから、専門家の間では総合格闘技とも言われているそうです。法律については、弁護士先生に聞けば教えてくれるけれど、税務や人事制度作りは専門外なのでアドバイスが難しいという。
匿名希望さん:特に「どんな人数規模を目指すならば、どうルールを作ればよいか」など配布の戦略を考えてくれる方がいるとより有り難かった。理想を言えば、SmartHR宮田さんやメルカリ山田進太郎さんのようなストックオプションを発行して組織を大きくした方に相談できたら嬉しかったです。
宮田:僕はペイ・フォワードの精神でけっこう相談を受けてますよ!
匿名希望さん:いや、とはいえ時間的な制約はあると思いますし、面識がない先輩経営者にいきなり相談を打診するのは相当ハードルも高くて現実的ではないですよ(笑)。
宮田:まあ、それは確かにそうですね(苦笑)。
匿名希望さん:あとは費用面ですね。ストックオプションに関する費用はなにかと高額です。余裕を持って準備しておきたいところです。
資金調達前の方がバリュエーション(株価)が低く抑えられ社員にとって条件が良いストックオプションにできるのですが……。資金調達しないことには会社が立ち行かなくなるジレンマがあるので、より良い条件で資金調達するためにも、手持ちの資金はマーケティング等に使ってKPIを良くしておきたいというのが本音です。
宮田:資金調達をする際は、1.5~1.8年分の運営資金が目安と言われますが、キャッシュが切れるギリギリまで粘れたほうがKPIも上がるのでバリュエーションは高くできますよね。ただ、足元をみられて交渉力が弱くなるネックもあります。その辺りは状況と合わせてですね。
匿名希望さん:痛い目を見たので、ストックオプションを発行する予定があるのなら、ある程度の予算は確保しておかないとですね。
宮田:今日はリアルなお話を根掘り葉掘り聞けて良かったです。この記事が他のスタートアップ経営者の一助になれば嬉しいですね。今日はありがとうございました。
(企画:宮田 昇始 / 取材・文:上野 智 / 撮影:岡戸 雅樹)