スタートアップ創業者による「未上場での株式の売却」。ストックオプションと同様に、日本のスタートアップシーンにおいて、これまで公に語られることはほとんどありませんでした。
そもそも件数自体が少なかったのかもしれません。IPO前に株式を売却すると「創業者のやる気がなくなるのではないか?」というステークホルダーからの反対もあったでしょう。また、過去には創業からの最短上場や、最年少上場などスピード重視でIPOを目指すトレンドが存在して、そもそも未上場で株を売却する動機が湧きづらかったと思います。
しかし、昨今ではスタートアップがIPOするまでの期間が長期化しています。
未上場で数十億円規模の資金調達が容易になったことや、会社の評価額を数百億円規模まで大きくしてからIPOを目指すほうが、機関投資家からの投資を受けやすくなり「IPO後も成長を続ける好循環をつくりやすいこと」が認知されはじめたのもその一因です。
企業価値を高めるために未上場で粘ることの重要性が認知されてきた一方、Exitのタイミングが遅くなることでスタートアップ創業者が経済的な不安を長期間に渡って抱えることや、「早期にIPOして自分の生活を安定させたいが、会社のことを考えるともっと粘ったほうがいい」というこれまでなかった葛藤が生まれています。
そのような背景もあり、未上場時点での株式の一部売却が、創業者たちの集まりでも話題に登る機会が増えてきました。株式会社ヤプリの代表取締役の庵原保文氏も未上場での株式売却を経験した一人です。
ステークホルダーが多く、且つお金にまつわる話であるがゆえに、公で語られることが極端に少なかったこの内容について、Nstockの宮田が聞いていきます。
庵原保文
株式会社ヤプリ 代表取締役CEO
出版社を経てヤフー株式会社にてメディア系サービスの企画職として従事。その後、シティバンクのマーケティングマネージャーを経て、2013年にファストメディア株式会社(現ヤプリ)を3名で創業し、代表取締役に就任。スマホアプリの開発・運用・分析をノーコード(プログラミング不要)で提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を運営する。2020年12月東証マザーズ上場。
宮田 昇始
Nstock株式会社 代表取締役CEO
2013年に株式会社KUFU(現SmartHR)を創業。2015年に人事労務クラウド「SmartHR」を公開。2021年にはシリーズDラウンドで海外投資家などから156億円を調達、ユニコーン企業の仲間入りを果たす。2022年1月にSmartHRの代表取締役CEOを退任し、取締役ファウンダーに就任。同月、Nstock株式会社(SmartHR 100%子会社)を設立。
なかなか表に出てこない「未上場での株式売却」
宮田:先日、『B Dash Camp(スタートアップ経営者のカンファレンス)』期間中に若い起業家の集まりに行ったとき、話の流れで「未上場時の株の売却」について熱心に聞かれ、関心が高いことを改めて感じました。
庵原:「未上場で株を売る」って何か少し後ろめたさがあって直接的なステークホルダーには聞きづらいですからね。宮田さんとふと会ったときに、それとなく「そういえば……」とお互いに話を切り出して、「え!! 宮田さんも株売ったの!?」となったことを覚えています。
宮田:そうですね。当時、ぼくも庵原さんと全く同じタイミング(2019年)で一部売却をしていたので「そんな偶然ある?」と思いました(笑)。 「あ、庵原さんも一緒でよかった〜」と、切り出せた瞬間になんだかホッとしたのを覚えています。
庵原:なぜこんなセンシティブな内容を取材で話す気になったかたと言えば、当時のステークホルダー(VC)にも責任を果たしていますし、上場目論見書でも未公開時の売却が記されて公開情報になりました。それに年月もある程度過ぎたし、インタビューアーがほかでもないNstockの宮田さんだから、です(笑)。
「2020年までに上場する」譲れない目標と、VCの提案
宮田:ありがとうございます。まず、売却された際の経緯を教えて下さい。売却したのは2019年ですよね?
庵原:ええ。まずもともと僕は家族にもVCにも「2020年までに株式上場する」と公言していました。
ヤプリを立ち上げた2013年に『東京2020オリンピック』の開催が決まり「日本経済のピークはココだ!」と思えたし、それ以降の日本経済は読めないという言説もありました。
売上が10億円を超えた2018年頃に、「本当にこのまま最短で上場する?」という話題が株主と経営陣から出たんです。SaaS企業は時価総額を年間売上で割ったPSR(株価売上高倍率)で判断される事が多いので、1年待つだけでも時価総額は一回り大きくなり得るんです。
それでも僕は「家族にもコミットしたし、何があるか分からないから出れる時に上場したい」と話していました。
そこで、GCP(グロービス・キャピタル・パートナーズ)の担当キャピタリストだった今野さんから「シリーズCの資金調達を挟んで上場を伸ばし、庵原さんの株を売ったらどうか?」という提案をもらったんです。1年上場を伸ばして見通しがどうなるか分からない「リスクテイク」を、その時点で一部売るという「リスクヘッジ」で相殺できることになり、この案に乗りました。
宮田:既存VCさんからの提案だったんですね。
庵原:加えて、シリーズCの資金調達では普通株を混ぜた「ブレンデッド」の評価額で株価の交渉ができました。これは、有利な条件がついたC種優先株の増資と、特に条件がついていない普通株の売却をセットにして資金調達する方法です。
株価算定した際、普通株はディスカウントがなされて、優先株よりも割安になります。新規投資家からすると、会社が新規発行する優先株と、創業者が持つ割安な普通株をセット購入することでトータルのバリエーション(評価額)を下げて出資できます。当時は、新規投資家だけでなく、既存株主も割安で買えるので全員が購入してくれました。
宮田:創業者が持っているのは優先分配権などがついていない「普通株」ですよね。優先株との価格差を活かし、会社の資金調達においても武器として使えますよね。
SmartHRも2019年でのシリーズCの資金調達で「とある投資家にぜひ出資して欲しいけど、希望するバリエーションに乖離がある」という状態だったのですが、創業者の普通株を一部混ぜて売却することで無事に出資を受けることができました。
「創業者は普通株を売却して経済的な不安を解消できる」「会社はバリュエーションを高められて嬉しい」「投資家は株を割安で購入できて嬉しい」という三方良しの手法だと思います。
株を売却して、「心の安定」が得られた
宮田:株を売却したことで何が一番大きく変わりましたか?
庵原:一番大きかったのは、まとまったキャッシュが入ってきたことで創業して初めて「心の安定」が得られたことですね。
どんな起業家もずっと不安と戦いながら事業をやっていると思います。スタートアップの起業家は特に特殊で、資金調達を受け、社員も急速に増えていき、責任や役割が急激に大きくなる。
同時に、先行投資で赤字掘る場合がほとんどなので、役員報酬も抑える人が多いです。僕も例に洩れず、会社員時代よりはるかに給料を落として生活をして、創業してから子供も2人生まれ、余裕は全くないから実家にパラサイトして生活していました。創業の資本金や信託SOを作る際にも、親からお金を都度借りていて、両親にも随分と迷惑をかけました。
売上は大きく成長していっても、自分の生活の安定はむしろ逆行していくのが多くの成長期のスタートアップ創業者の実態なんです。
そのストレスもあってか、些細なことで家族と喧嘩が増えていきます。家で喧嘩した翌日の仕事とかって、もうそれだけでパフォーマンスがた落ちですよね?(笑)。
そのストレスがピークに達していた頃に、初めて自分の株を売却して、余計な細かいストレスや喧嘩が減りプライベートがめちゃくちゃ安定しました。妻との喧嘩の多くは些細な家計だったりするじゃないですか?(笑)。そういうのが無くなることで、本当により事業に集中できるようになりました。
宮田:その心の安定は僕も分かります(笑)。僕も売却当時は400万円くらいの借金があり、自転車操業だったのでスプレッドシートで自分のキャッシュフローを管理していました。毎月、月末になるとスプレッドシートとにらめっこしながら「今月のキャッシュフローは大丈夫だっけ?」「娘の幼稚園の引き落としはなんとかなりそう」と確認していました(笑)。
庵原:株の売却は、その後の経営判断にも良い影響がありました。
2020年3月に新型コロナウイルスが日本でまん延し、株価もクラッシュして日経平均株価はも1万6000円台になりました。その時、僕は「あ、これもう終わった。しばらく上場できない……」とすぐに感じました。特にヤプリのクライアントはアパレル系など小売のお客さまが多く、緊急事態宣言が発動されて多くの企業活動が停止され、もうこれは事業が終わるかも、と思いました。
結果的にはDXの風が吹いて株価も戻したのですが、もしこの時に創業者株を売却せずにコロナに挑んでいたら、かなり冷静さを失って荒いコミュニケーションを各所でやっていたかもしれません。
だけど、当時はピンチだけど妙に落ち着いて社内や株主と会話でき、以前は大反対していたリモートワークの導入もスムーズにでき、冷静な経営判断が出来たと思っています。このときの素早い判断は、社員も評価してくれました。
宮田:エピソードが本当に同じなんですが、2020年春に最初の緊急事態宣言が来たとき、自宅で目の前が真っ暗になりました。「お先真っ暗」という表現がありますが、視界が隅っこから本当に暗くなったんですよね。これにはびっくりしました。
でもすぐに「いや、待てよ、会社がすぐに死ぬわけでもないし、自分の生活もしばらくは大丈夫だ」と数秒で持ち直しました。そのときの自宅の景色はいまでも鮮明に覚えています。
未上場株の売却、すべてのスタートアップに進められる!?
宮田:ちなみに売却した株式は何%くらいでしたか?
庵原:調達後の発行済株式総数に対して約2%弱でした。宮田さんは?
宮田:僕も近くて約1%くらいでした。1〜3%くらいの比率がやる気もなくならず、ステークホルダーにも納得してもらいやすいような気もしますね。あと、会社のメンバーには株を売却したことを報告したり周知する機会はあったのでしょうか?
庵原:特に話をする機会は持たなかったですね。2018年時点では創業メンバーの3人がイコール執行役でしたから。とはいえ、やましいことがあるわけではないので聞かれたら話をするという感じでしょうか。今2022年の状況ならば、執行役も増えているので「こんな理由のために持っている株を売却します」と話すと思います。事実を違った認識で解釈されても困りますし、あらぬ誤解を生みかねないですからね。宮田さんは?
宮田:ぼくは毎週やっている全社会で、当時在籍していた全社員に伝えましたね。うわさのような形で知ってしまうと、仰るとおりあらぬ誤解を生みそうだなと思ったので、先にこちらからわりとしっかり共有しました。
ちなみに、売却を提案してくれた人以外のステークホルダーから反対の意見はなかったですか?
庵原:シリーズCの売却時に、新規でリード投資家となったEight Roads Ventures Japanのデービッド氏はすごく心配していて、「キャッシュインすることでモチベーションを失わないか?」とわざわざ香港から面談しました。懇切丁寧に「その程度でやる気を失ったりはしないから」と話しましたね。日本で創業者が未上場株を売却する事例が少なかったからだと思います。
自分自身は上場という形で売却先のVCへ責任を果たせて非常にうまく行ったケースだと思いますが、すべてのスタートアップ経営者にオススメできるかというと違うと思います。
ある程度、上場が見えている売上規模になっていて、事業成長の再現性がある状態でないと、投資家にとってはリスクがあります。
実際に、早い段階で創業者が株を売却し、VCとの関係性が修復できないほどに壊れてしまった例もあります。その時の溝は単なるビジネスの失敗以上に私情が入り、修復がかなり困難になります。
ただ、事業の再現性が確立できており、上場などExitへの自信が自分と周りにもあり、VCとの信頼関係が構築できているなら、創業者の株式売却は十分に選択肢になると思います。特に、未上場期間を長くして赤字を掘って大きく成長させることを狙うなら、経済的な不安を抱えながらだと精神的にきつくなる創業者も多いと思います。起業の成功は、事業だけでなくその背後にあるプライベートの安定と表裏一体ですからね。
株を買う投資家としては、起業家の性格や生活環境を鑑みて、「ハングリー精神で勝つタイプ」か「安定感で勝つタイプ」なのかで考えると良いのかもしれませんね。もちろんハングリー精神が全員に必要なのは当然として、家族持ちや大人起業家も増えてきているので、プライベートをより安定させることで勝率を高めるという手法も十分にあり得ると思います。
宮田:僕も創業者初期はハングリー精神で会社を成功させたいと思っていました。
また、お金のハングリーさだけでなく、「自分たちがつくったものを社会から認めてもらいたい、実力を示したい」というハングリーさもありますよね。
事業が伸びることで社会から認められ、生活も安定していく。創業者はどこかのタイミングでハングリー精神から違うものにモチベーションをスイッチする能力が求められそうですね。
本日は、なかなか言いづらいテーマをオープンに話して頂きありがとうございました!
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今回のインタビューに応じてくださったヤプリさんの会社情報はこちら
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(企画:宮田 昇始 / 取材・文:上野 智 / 撮影:岡戸 雅樹)