シリコンバレーを筆頭に、有名スタートアップが誕生しつづける米国。その背景にあるのが、魅力的なストックオプション(以下、SO)制度です。米国のスタートアップで働く日本人エンジニアのでいじ(daisy)さんも、それを実感した1人でした。
各社でのSOの条件はどのようなものだったのか。米国と日本のSO制度はどう違うのか。未上場時点でのSOの行使と売却(以下、セカンダリー)をどう進めたのか。「やりたいことを追求できるスタートアップが好き」と語るでいじさんに、現地のSO事情についてお話を伺いました。
でいじ(daisy)Sardine head of engineering
東京の大学院でコンピューターサイエンスを研究するかたわら、起業やGoogle Japanでのインターンシップを経験。大学院修了後の2014年に渡米し、新卒でGoogleに入社。アプリ開発を経験する。その後eコマース決済を扱うBoltを経て、2020年に現職のSardineに入社し現在に至る。
初期のスタートアップを選んだ理由
――でいじさんは新卒から米国で働く選択をされています。日本ではめずらしい進路ですが、迷いや抵抗はありませんでしたか。
でいじ:割と楽観的なタイプなので「行けばなんとかなるだろう」と思っていました。でも、実際にはなんとかならなかったです(笑)。英語が流暢ではないので、同僚となかなか仲良くなれなかったんです。技術ドキュメントは書けても、仕事のコミュニケーション全般がうまくいかない。Googleでの最初の3年間くらいは、こうした言語の壁に苦しみました。
――転職先にBoltを選んだのはなぜですか。
でいじ:Boltを選んだ理由は、大きく3つあります。
1つめは、スタートアップに入社するならなるべく初期がよかったからです。Googleでは、会社にあるツールをなんとなくつなげているだけで、大規模なソフトウェアが作れてしまいます。「自分で0から作ったわけじゃない」というのが、ずっとコンプレックスでした。
それを解消するためにも初期のスタートアップでゼロからものづくりをして、何万人、何百万人というユーザーに使ってもらえるところまで育てる経験がしたかったんです。その点で当時シリーズAで、プロダクトもステルスだったBoltは、まさに僕が求めていた環境でした。
2つめは、人に惹かれたからです。Boltは社長もほかのエンジニアも非常に魅力的で、学ぶところが多い人たちだったんです。面接で話したときから、この人たちと仕事がしたいと感じていました。
そして3つめは、ポテンシャルの高さを感じたからです。これからの会社に入るなら、やっぱり夢を見たいじゃないですか。当時のBoltには、PayPalみたいな規模の会社になるかもしれないと思わせる雰囲気がありました。それに賭けてみたいと思ったんです。
――Boltへの入社時、給与やSOなどの条件はどのようなものでしたか。
でいじ:Googleで働いていたときと比べて、給与はやはり下がりました。気にならなかったと言えば嘘になりますが、スタートアップってそういうものだとも思っていました。
SOについては、当初は「もらえます」と言われただけ。何回か聞いて、ようやくSOが全体の何%なのか、どのくらいの価値があるのかという詳細を教えてもらえました。蓋を開けてみればパーセンテージは全体の0.1%〜0.5%程度と、初期の割には意外と少なめだなと個人的には感じました。
SOで給与の少なさを埋めるものと思っていたのでちょっと意外でしたが、それほど気になりませんでした。やりたい仕事をすることが最優先で、収入は最低限の生活ができる程度あればいいと思っていたからです。そのまま入社し、退職時にはもらったSOの大部分を行使しました。
退職後にセカンダリーでSO売却、よりチャレンジングな環境も選べるように
――その後、セカンダリー・マーケットでSOを売却されていますね。
でいじ:はい。きっかけはBoltの退職から半年後、LinkedInや友人伝いで売却に関する連絡が来たことです。当初は警戒しましたが、Boltの退職者チャットグループで友人も売却していたと聞き、詐欺ではないと思いました。
※セカンダリー・マーケットとは、未上場スタートアップの株式を売買できるマーケット(非公開株式流通市場)のこと。
実はセカンダリーで売却できるということ自体、その時点ではじめて知ったんです。でも、米国では退職時のSO持ち出しがごくごく一般的だったので、特に驚きはありませんでした。当時のBoltではセカンダリー売却時に許可が必要なかったこともあり、このタイミングで売却しようと思いました。
米国では個人・法人を問わず、SOの買い手がたくさんいます。当時のBoltのバリエーションは$5billion (約7,000億円)くらい。1株あたりの値段はわからないものの、チャットグループで飛び交っていた「いくららしい」という情報も参考にしながら何社かと売却交渉を進めました。
最終的には2020年頃、条件が合ったForge Global(※)に売却。フェアプライスがわからない不安は最後までありましたが、売却の手続き自体はオンラインで完結する簡単なものでした。保有しているSOの10〜20%程度を4,000万円ほどで売却し、退職後の不安定な時期に金銭的な余裕が生まれました。
※Forge Globalは、未上場株のセカンダリー・マーケットプラットフォーム。
――2020年、現職のSardineに転職されたのはなぜですか。また、SOの話はどのような流れで出てきましたか。
でいじ:転職先にSardineを選んだのは、まず「不正防止」というドメインに興味を惹かれたからです。日々起きる新しい問題に対して、頭をひねって対策を考えていく。これってすごくチャレンジングなことだと思うんですよ。BtoBのSaaSを扱っているという点にも魅力を感じました。自分が作ったものがどれぐらいの売り上げになって、お客さんの役に立ったのかがわかりやすいと思ったのです。
当時のSardineはシードラウンドの資金調達を終えたばかりで、これからどうなるかわからない状態。そんな中、1人目の正社員エンジニアとしてやってきたのが僕でした。
3次面接くらいで入社の意思確認や給与の話になると、さっそくSOをどれぐらいもらえそうかを聞きました。スタートアップに入るならSOが給与の大部分になるだろうし、早く入るなら相応のアップサイドがほしかったからです。そのときに合意した具体的な条件は、次の3つでした。
1.4-year vesting, 1 year cliff
入社時に4年分のSOの量と行使価格が決まり、在籍1年が経ったタイミングで最初の1年分のSOが付与、その後は一ヶ月ごとに1/48ずつ付与される。
2.Early exercise
早期行使。米国ではSO行使時の差額に対して課税されるため、早めに行使すると差額が減り、税金が抑えられる。
3.7-year post termination exercise
退職後SOを行使できる期間が最長7年であること。一般的に、米国では退職して90日以内にSOを放棄するかSOを行使して株に変えるかを選ぶ必要があるが、SO行使時に課税されるため退職後に貯金がない社員はSOを放棄せざるを得ないケースも多い。そのため、行使可能期間を7年まで伸ばす企業も増えてきている。
でいじ:条件面には問題はなかったので、主にSOの量(割合)を確認しました。前職の交渉時と比べて、キャッシュの部分を妥協しやすくなったと思います。セカンダリーで売却できるのならば、一時的にキャッシュの部分を妥協してもいいと思えますから。近年のスタートアップはIPOまで10年以上かかることも多いので、こうした選択肢をとれるのは企業にとっても社員にとってもいいことですよね。
スタートアップには「夢を描かせる力」が必要
――米国のスタートアップの魅力は何ですか。
でいじ:僕、スタートアップが好きなんですよ。正直な話、お金がほしいというだけなら大企業に行ったほうが確実じゃないですか。そんな中でスタートアップに入るのは、やりたいことがある人だと思うんです。
でも、リターンがなくてもいいわけじゃない。大成功したときにそれなりのお金が入るという、夢を描けるかどうかが大事だと思います。SOの制度やビジネスモデルでリターンをしっかり示して「夢を描かせてくれる」のが、米国のスタートアップの強みではないでしょうか。
――日本のスタートアップで働くとしたら、どんな点がネックになりそうですか。
でいじ:退職するとSOが失効してしまうことは、大きなネックになりそうです。僕はBoltを退職後、セカンダリーでの売却を経ていくらか金銭的な余裕ができました。そのおかげで不安定な環境下でも冒険を忘れずにいられましたし、条件よりも自分のやりたいことを優先して転職先を選ぶことができたと思っています。これがなければ入社時にキャッシュを妥協する選択肢をとれないどころか、今後の成長が未知数のスタートアップを選ぶことすらできなかったかもしれません。
そして、IPO起算のべスティングもネックとなりそうです(編集注:日本のSOは、IPO後に数年かけて権利確定することが一般的)。初期にいくらがんばってもIPO前に辞めると何も残らないというのは、さすがにアンフェアですよね。それでは成功する夢が描きにくいし、がんばる意欲も削がれてしまう。次のステップのことを考えても「またスタートアップで働こう」「自分でスタートアップを起ち上げよう」という気には到底なれないと思うんです。
米国のシリコンバレーが強いのは、スタートアップでがんばってきた人がちゃんと報われて、前向きに次のステップに進めるから。その人たちがまた別のスタートアップに転職したり起業したりすることで、スタートアップのエコシステムができているんです。その点で日本のIPO起算のべスティングは、個人にとってもエコシステム全体にとってもマイナスが大きいと言わざるをえません。
かといって、モチベーションが下がっているのに、SOのためだけにIPOを待つというのも本末転倒です。これが入社日起算のべスティングなら、自分と会社のフェーズが合っていないと思えばすぐに辞める決断ができるはずです。そうすれば会社も社員もWin-Winになれますし、スタートアップのエコシステムも活性化していくと思います。
また、セカンダリーマーケットが整備されていることも非常に重要です。セカンダリーマーケットの存在が、僕の人生の選択肢を広げてくれたんです。これからだって、また創業期の会社に飛び込むこともできるし、自分で起業することだってできる。そう思えるのは、セカンダリーマーケットがあるおかげだと思います。日本でも未上場でSOを換金できる手段があれば、リスクをとってスタートアップに飛び込んでみようという人が増えるのではないでしょうか。
スタートアップって、本当に魅力的なんですよ。いっしょに働く人も何を大事にして働くかも、どういうカルチャーの会社にしていくかも、自分の意思で決められる面が大きい。その中で“会社ごと”が“自分ごと”になり、仕事がどんどん好きになっていくんです。日本のSO制度も、そういう熱意ある人たちを後押しするようなものであってほしいですね。
(制作協力:株式会社Tokyo Edit)